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開発の現場から

開発と民族共生 —コソヴォの多民族共存社会における新しい市民教育

人権教育プロジェクトを実施している小学生の生徒たちと筆者(中央)。紛争で肉親や親族を失った子どもたちも多い。(コソヴォ・ペア地域)
人権教育プロジェクトを実施している小学生の生徒たちと筆者(中央)。
紛争で肉親や親族を失った子どもたちも多い。
(コソヴォ・ペア地域)
小松太郎
開発は、平和や安定なくしてはあり得ない。民族間の衝突は平和や安定を脅かす最大の要因のひとつである。現在世界で進行中の、イスラエル・パレスチナ紛争、北アイルランド紛争、コンゴ紛争、インド・パキスタン緊張などは、個々の複雑な歴史背景はあるにしても、皆、宗教や言語の異なった民族間の対立が軸となっている。そして、この民族間衝突の危険性と絶えず隣り合わせに歴史を歩んできたのが、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれるバルカン半島である。

バルカン半島中心部に位置するユーゴスラヴィア連邦国家は、言語や宗教が異なる民族が混在する、いわゆるモザイク国家であった。こうした状況下で、指導者達は、他の多くの共産国がそうであるように、「兄弟愛」や「連帯」といった標語のもとに、異民族の団結を図った。その結果、表面的には社会はまとまり、秩序が保たれたようにみえた。しかしながら、連邦政府が経済政策の失敗などで求心力を失うと、民族ナショナリストの急進を許し、連邦解体という結果を招いた。

民族の統一性があり、比較的速やかにユーゴスラヴィア連邦からの脱退と独立を遂げたスロベニアやクロアチアといった共和国に比べ、ボスニア・ヘェルツェゴヴィナ共和国やコソヴォ自治区といった民族が複雑に入り組んだ地域の独立運動は凄惨を極めた。異なる民族を排斥する民族浄化政策・運動のために多くの人々が尊い命を落とした。ボスニア・ヘェルツェゴヴィナ共和国は独立をし、コソヴォは国際連合の統治のもとに、自治区という政治的地位を変えないまま、新たに恒久平和を目指して復興の道を歩んでいる。筆者は紛争終結後1年経った2000年7月に、コソヴォの国連暫定行政統治機構(UNMIK)に赴任し、2002年の9月までの2年間、地域教育行政官として働いた。本稿では、コソヴォでの学校教育がユーゴスラヴィア時代からどのように変化し、民族和解・共生と民主的な社会の構築を目指して、今新たにどのような道を模索しているかを、現場の視点から記したい。

●愛国・民族忠誠心を育んだ市民教育
旧ユーゴスラヴィア連邦国家における学校教育の要は小学校と中学校で教えられる市民教育(Civic Education)であった。小学校高学年(13-14歳)においては、市民教育は愛国主義の意識を子どもにもたせることにその第一義があった。中学校ではこれがより実践的になり、チトー大統領のもとで作られた「総合国家防衛体制」に寄与できるよう、軍隊のような訓練を生徒に受けさせた。この科目は「安全保障防衛学」と呼ばれ、地雷の避け方、機銃の仕組み、応急手当の仕方などが教えられた。西側にも東側にも属さず、絶えず外からの攻撃を想定した状況で市民の国家防衛に対する精神面・実務面での準備を行うのが「市民教育」だったのである。

コソヴォ自治区では、この市民教育は後に変化し、「民族共同体」が、国家に代わって個人の帰属の対象として教えられることになる。ユーゴスラヴィア連邦大統領に就任したミロシェヴィッチが、1990年代はじめから、セルビア民族主義を掲げてコソヴォのアルバニア人を学校から排除する政策をとると、アルバニア人はその後10年間近くにわたって個人の家などを使って子どもの教育を隠れて行った。そこではもう、ユーゴスラヴィアに対する忠誠・愛国心は存在せず、代わって、アルバニア人という共同体への忠誠心を子どもの心に育てる教育が行われたのは察するに難くない。一方、セルビア人側もアルバニア人との、またそのほかの民族との対立構図を受けて、教育がセルビア・ナショナリズムの性格を強めていったと考えられる。

●人類普遍の価値を根底に置く市民教育
将来のコソヴォに必要な「市民教育」とは何なのだろうか。愛国心が必ずしも悪いとは思わないし、民族共同体としてのアイデンティティを確立することも大事である。しかし、コソヴォの現状をみていると、もっと人類普遍の価値を基にした人権・民主主義教育を行うことが急務に思える。人権・民主主義を基礎とした市民教育は、お互いを「個人」として捉えることを第一義とする。どの民族・宗教に属しているかは二義的である。

具体的には、小学生は人権の意味と、それぞれ、そしてすべての「個人」が持つ人権を学ぶべきではないだろうか。それとともに、人権に伴う「個人」の責任、他人の人権の尊重といった態度を育てるのである。特に、民族、言語、宗教における少数共同体の保護に敏感になることは大切だ。中学校・高校では、全ての市民の人権を守るための社会制度を学ぶ。

コソヴォから多くの若者がオーストリア、ドイツ、スイス、アメリカといった国々へ勉強や出稼ぎに行っている。将来コソヴォの次世代が「ヨーロッパ人」そして「地球市民」としてのアイデンティティを強く持つ日が来るのかも知れない。その時に必要な個人の知識・態度は、民族愛国心を超えた、人権・民主主義といった根本原理を理解、遵守することであり、これにより初めて民族共生が可能になるのではないか。

●コソヴォでの試み
筆者が教育行政を担当するコソヴォ西部のペア地域では、地元NGOと共に、このような趣旨の市民教育を小・中学校で実験的に行っている。フィンランドから人権教育にかかわっている教師を招き、小・中学校教員120人あまりが人権教育の理解を深め、その導入方法を学んだ。教材はユネスコ(国際連合教育・科学・文化機関)で開発されたものを翻訳して使っている。人権や民主主義といった概念の理解とその遵守のためには、政治・経済や倫理・哲学といった科目だけではその広がりを十分に子どもに理解させるのは困難だ。よって、学際横断的なアプローチがとられる。教員は自分が担当する科目がなんであれ、子どもの心に人権に対する理解・尊重を持つ態度を育てることが勧められる。また、教育手法そのものにも、人権教育が反映され、子どもの多様な意見を尊重するやり方が授業のなかで取られる。教員は子どもの権利にも敏感になる。

教員は人権教育に対して至って積極的であり、1カ月150ユーロ(約2万円)という安月給ながら一生懸命学び、授業に取り入れようとしている。ここでの試練は、家庭での教育が学校教育と矛盾しているかもしれないということである。いくら学校教育で人権・民主主義教育を行っても、家庭で親から民族共存の精神と反する教育を受けているならば、効果は半減する。しかし、逆に子どもが親に影響を与えることもあり得るようである。実際、人権教育を受けている生徒のなかには、自分で考え、意見を言うことのできる子どもが多く、彼らは家で家族と議論をすることもあるという。

ペア地域はコソヴォ紛争でもっとも破壊された場所である。人権教育プロジェクト発足当時は、学校インフラの整備が最優先されており、このようなソフト・プロジェクトに懐疑的な見方をする者もいた。しかし、教育の本来の目的を考えれば、このような試みは最優先されるべきだと考える。

「私は共産主義者であり兄弟愛や連帯といったものを信じていた。いや、信じている振りをしていた。」コソヴォで一緒に働く現地アルバニア人の同僚がある日こう語った。見せかけの兄弟愛に代わる人権尊重を根底とする社会が作れるか、これからのコソヴォ、そして民族間の抗争を繰り返してきたバルカン地域全体の開発・発展における最大の課題である。

(こまつたろう/国連コソヴォ暫定行政 統治機構・地域教育行政官/開発スクール第5期生)