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海外研究員レポート

スーダンの経済情勢

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050071

2006年1月

はじめに

スーダンは、2005年1月に北部を中心とする政府と南部反政府軍の間で包括和平合意が成立し、20年以上続いた内戦に終止符が打たれた。しかしながら、その後の和平プロセスの停滞、西部ダルフールでの「集団虐殺」、東部地域での紛争など国内各地域で不安定な状況が続いている。一方、国内経済の過半を占める首都ハルツームは治安も安定しており、現在は建築ラッシュの様相を呈している。本稿では、①包括和平合意後の貿易状況、②石油産業の発展の2つの視点からスーダンの経済情勢を概観する。

1. 包括和平合意後の貿易状況

包括和平合意後の貿易状況を概観したのが表1~3である。和平締結直後の2005年上半期を前年同期と比較すると輸出入とも多くの品目で大幅な増加となっている(表1)。輸出品目は、原油やアラビアガムといった原材料がほとんどであるが、なかでも原油が全輸出の80%以上を占めている。原油の輸出先としては、2005年上半期では約86%が中国向けであった。一方、輸入品目は機械類、鉄鋼、食糧が主な品目である。どの品目も増加しているが、特に鉄鋼の輸入増加が著しい。

主な貿易相手国は、輸出入とも中国が最大の貿易相手国である(表2、3)。輸出では包括和平合意前後とも中国が70%前後を占めている。2005年上半期では、中国への輸出の99%以上が原油および石油製品であった。また日本はスーダンにとって第2位の輸出先であり、主な輸出品目は原油および石油製品(全体の96%)であるが、その他ではアラビアガム(同2%)、ゴマ(同1%)などがある。他方、輸入は中国が最大の輸入先であるものの、そのシェアは10%前後である。日本からの輸入は全体の3~4%であり、主な輸入品目は輸送機(全体の77%)となっている。

また、スーダンはCOMESA(東南部アフリカ共同市場)加盟国であるが、COMESA諸国との貿易(2005年上半期)は、全貿易額に対して、輸出が2.4%、輸入が4.6%と域内貿易の規模は大きくない。またCOMESA域内との貿易ではエジプトが大部分を占め、輸出の65%、輸入の96%がエジプト相手である。

表1:主な貿易品目(2005年1-6月)

(金額:US$1000, 増加率:前年同期比)

輸出品目 金額 増加率 輸入品目 金額 増加率
原油 1,897,918 54.3 機械 760,043 51.9
石油製品 105,508 61.8 輸送機 493,253 58.1
ゴマ 49,851 -54.1 鉄鋼 307,178 151.7
アラブ・ゴム 48,548 158.8 小麦 164,903 21.3
31,354 29.0 化学製品 131,742 47.8
総計 2,307,816 38.0 総計 2,702,350 47.7

出所:Foreign Trade Statistical Digest (Bank of Sudan)

表2:主要輸出相手国

2004年 比率 2005年1-6月 比率
1 中国 66.9 中国 75.2
2 日本 10.6 日本 7.9
3 サウジアラビア 4.3 サウジアラビア 2.9
4 エジプト 2.9 インドネシア 1.7
5 UAE 2.4 エジプト 1.5

出所:表1に同じ。

表3:主要輸入相手国

2004年 比率 2005年1-6月 比率
1 中国 13.0 中国 10.8
2 サウジアラビア 11.6 サウジアラビア 4.4
3 UAE 5.9 エジプト 4.4
4 エジプト 5.1 日本 3.4
5 インド 4.8 オーストラリア 3.4
8 日本 4.1

出所:表1に同じ。

2. スーダンの石油開発状況
2.1 石油産業の歴史

スーダンでは1950年代末から油田開発が始まった。イタリアのアジップ社やアメリカのシェブロン社などが紅海沖で試掘を行い、1976年にシェブロン社がガス田(Suakin)を発見した。その後、南部地域でも試掘が行われ、Bentiu、Malakal、Muglad地域周辺で油田が発見された。しかしながら内戦による治安悪化のため油田開発は停滞し、シェブロン社は1985年に権益を放棄しスーダンから撤退した。同時期にフランスのトタル社も試掘を中止したが、権益は現在も保持している1。スーダン政府はシェブロン社が放棄した鉱区を分割し、そのうちBentiu近郊の鉱区をカナダのアラキス(Arakis)社が1993年に取得した。

アラキス社は取得した鉱区のうちHegligとUnity地区(ブロック1、2、4)を開発し、1996年に約2,000bbl/d の規模で原油生産を開始した(スーダン国内消費向け)。またアラキス社は、原油輸出用に紅海の港(ポート・スーダン)までパイプラインを敷設するにあたりコンソーシアムを組織した。コンソーシアムGreater Nile Petroleum Operating Company(GNPOC)には、中国石油天然気集団(CNPC)が40%、マレーシアのペトロナス社が30%、アラキス社が25%、スーダン国営石油会社Sudapet社が5%の割合で出資した2。GNPOCは1998年5月にパイプライン敷設を開始、1999年9月に完成し、原油(Nile Blend)の輸出が開始された3。パイプラインの容量は当初15万bbl/d であったが、今後45万bbl/d まで拡張予定とされている。Nile Blendはlight(high API gravity)and sweet(low sulfur)が特徴で、主に中国とインドに向けて輸出されている。GNPOCの2005年1月時点における生産量は32.5万bbl/d であり、HegligとUnity油田の可採埋蔵量は6.6億~12億バレルと推定されている。

他の鉱区は近年に開発が開始されたところであり、2005年までに生産が軌道に乗ったのはCNPCが権益を持つブロック 6 のみである(表4)4。ブロック3と7の権益を持つPetrodarは2006年1月中旬からタンカーによる原油輸出を開始することを発表した(スーダン・トリビューン紙[2005年12月8日付])5 6。なお、2004年1月時点でのスーダン全土における原油の確認埋蔵量は5.63億バレルであり、2001年の確認埋蔵量2.62億バレルの2倍以上になった。

2.2 原油生産量

原油生産は1996年から本格的に開始され、2004年末の原油生産量は推定34.3万bbl/d である(図1)。エネルギー省は2005年11月、年末までに4つ目のパイプラインが稼働し原油生産量は50万bbl/dに拡大すると発表した7。またアル-バシール大統領は2005年11月28日のテレビ演説で「原油生産量は2006年半ばに60万bbl/d、2006年末には100万 bbl/dまで拡大する見通しである」と語った(スーダン・トリビューン紙[2005年11月29日付])。しかしながら、実際の原油生産量は必ずしも明らかでない。例えば南部自治政府は、北部を中心とする中央政府が公表する原油生産量は過少であると非難している(シチズン紙[2006年2月4日付])8

表4:スーダン石油鉱区

ブロック 名称 サブ・ブロック 面積(平方キロ) 権益保持企業(群) 開発開始時期(年)
1 Unity 1(a) 7173.3 GNPOC 1996(生産開始)
1(b) 154.9
2 Heglig 2(a) 154.9 GNPOC 1996(生産開始)
2(b) 8628.6
3 Adar Adar 3(d) 140.8 Petrodar 2004
4 Kaikang 32586.1 GNPOC 1996(生産開始)
5 Sudd 5(a) 29885.0 Petronas(68.875%), ONGC(24.125%), Sudapet(7%) 2005
5(b) 20199.3 Petronas(41%), Lundin(24.5%), ONGC(23.5%), Sudapet(11%)
6 Abu Gabra 25900.0 CNPC(95%), Sudapet(5%) 2004(生産開始)
7 Melut 7(e) 61918.7 Petrodar 2004
8 Blue 65856.0 Petrodar 2004
9 Khartoum 126090.0 ZAVER(85%), Sudapet(15%) 2004
10 Gadarif 57604.0 SIG
11 Humra 119124.0
12 Murdi 250000.0
13 DNGUNAB 24600.0
14 Abyad 135020.0


15 Toker 28100.0
16 Halaib 10300.0 IPC
17 C 65750.0 APCO 2004
18 B 118586.0 TOTAL(32.5%), Marathon(32.5%), Kufpec(25%), Sudapet(10%) 1980(その後中断)
  • GNPOC(コンソーシアム):CNPC(40%), Petronas(30%), ONGC(インド国営石油会社25%), Supapet(5%
  • Petrodar(コンソーシアム):CNPC(41%), Petronas(40%), Supapet(スーダン国営石油会社8%), Gulf Oil(カタール企業6%), Al-Thani Corp.(UAE企業5%)
  • ZAVER:パキスタンの民間石油会社
  • SIG(システムズ・インターナショナル・グループ):日系企業
  • IPC(International Petroleum Corporation):スウェーデンのLundin Oil系石油会社
  • APCO(コンソーシアム):Cliveden(スイスの民間石油会社37%), Hi Tech(28%), Sudapet(17%), ハルツーム州(10%), Heglig州(8%)

図1 原油生産量の推移

2.3 外資系石油企業(中国企業の動向)

スーダンの石油産業で大きな役割を果たしているのが中国企業である。中国企業によるスーダン石油部門への進出は、前述のように、1996年のGNPOCへの参加によって始まった。中国石油天然気集団(CNPC)は GNPOCの40%のシェアを4.41億ドルで獲得した。翌97年にはCNPCがブロック1、2、4におけるオペレーターに決定(20年契約)、またGNPOCの生産した原油を輸出するための約1500キロメートルのパイプライン敷設(1998年開始)においても主要な役割(技術・機器の提供、敷設工事)を担った9。その他、GNPOCの生産原油積出基地(Bashir Marine Terminal)の建設も請け負った(1999年完成)。

また、CNPCはブロック3、7を開発中のコンソーシアムPetrodar(2001年10月設立)においても41%のシェアを持つ。ブロック3、7は2004年に開発が始められた鉱区であり、 2006年早期の本格的原油輸出を目指している。

ブロック6では、CNPCがシェアの95%を握り2004年11月に1万bbl/dの規模で生産を開始した。今後 17万 bbl/dまで生産を拡大する予定である。

その他にも、ハルツーム製油所の建設に際し、CNPCは2.7億ドル(総コストの50%)を投資、建設請負、また完成後はオペレーターとして人員も投入している。ハルツーム製油所は当初5万bbl/dの精製能力であったが、2004年6月までに7万bbl/dに増強された。その後、CNPCは3.4億ドルで10万bbl/dまで能力を拡大する提案を行った。

中国とスーダンの関係は経済分野以外にも見られる。政治分野では、中国は、国連安全保障理事会でのスーダンへの制裁提案(ダルフールでの「組織的大量虐殺」に対するスーダン政府の関与)に対してスーダン政府を擁護している。また軍事分野でも中国は1990年代以前から、弾薬、戦車、ヘリコプター、戦闘機などをスーダンに輸出していた。現在は、中国が技術供与を行った兵器工場がスーダン国内に3つある。

2.4 スーダンと中国

1990年代後半以降、アメリカ企業はアメリカ政府による経済制裁(1997年~)のためスーダン進出が禁止され、また西欧企業は国際人権団体の圧力などによりスーダンへの投資を控えるなど、多くの先進国企業がスーダンでの活動を事実上停止していた。そんななか、積極的にスーダンへ進出したのが中国企業であった。現在までに中国によるスーダンへの投資額は計40億ドルを超え、スーダンへの最大の投資国となっている。

中国とスーダンとの関係は石油が軸となっている。スーダン政府は中国(企業)の進出を歓迎しているが、その理由はエネルギー大臣の次のようなコメントに集約される。「彼ら(中国)は政治に関与しない。彼らは政治ではなくビジネスに熱心で物事がスムーズに進む。」(ワシントン・ポスト紙[2004年12月23日付])。もっとも、この場合の「政治」とは、スーダン政府にとって都合の悪い政治問題のことである。1990年代後半以降のスーダン政府はテロ支援や人権侵害で国際社会から非難され、しばしば国連による制裁が検討されたが、その際にスーダン政府を擁護したのは中国であった。中国は安全保障理事会での拒否権を背景にスーダンへの制裁を回避すべく立ち回った。

中国(企業)の今後の懸念事項として、中国企業が権益を持つ南部の鉱区を治める南部自治政府との関係が必ずしも良好でないことが挙げられる。2005年1月に締結された包括和平合意において現存の権益契約は尊重されることが決定しているものの、南部自治政府内での中国(企業)の評判は必ずしも良いとは言えない。内戦期に、中国企業は北部勢力を中心とするスーダン政府と緊密な関係を保つことで権益を獲得していたからである。南部の反政府軍司令官は「(南部の)人々の苦難は中国がもたらしたものである。中国企業との契約は破棄されるだろう」(ワシントン・ポスト紙[2004年12月23日付])と述べている。

おわりに

現在のスーダンは、包括和平締結後の貿易拡大および原油生産の増加と経済活動が活発化している。とは言え、ハルツーム中心部でも大通り以外では舗装されていない道路も多いなど、一見しただけでもインフラ不足は否めない。一方、ハルツームでの新たな都市計画や新空港の建設など大規模な開発構想もある。現在のスーダンは、首都ハルツームで経済復興が緒に就いたところであるが、今後政治面において各勢力の対立が解消に向かい、和平プロセスの推進が実現すれば、スーダン全土における復興ブームの到来も現実的なものとなるだろう


脚注
  1. 包括和平合意を受け、トタル社は2005年に掘削権の更新を行った。
  2. アラキス社は1998年にTalisman社(カナダ)に買収された。その後、スーダン政府の人権侵害を糾弾する国際的人権団体などからの圧力を受け、Talisman社は2003年3月に権益をインド国営石油会社ONGCに売却し、スーダンから撤退した。
  3. 原油収入は、GNPOCが粗収入の60%をスーダン政府が40%を受け取る。初期コスト回収後はスーダン政府の取り分を増加させる方向で再調整。
  4. 2004年11月から1万bbl/dで生産を開始、今後17万bbl/dまで増産予定である。
  5. スーダン・トリビューン紙は電子版(http://www.sudantribune.com/
  6. 生産自体は2005年8月に開始されたが、パイプラインなどを建設中であり、フル操業は 2007年の予定である。生産計画は、2006年末までに25万bbl/d、2007年のフル操業時には35万bbl/d まで増産。
  7. 2005年11月時点では、原油用パイプライン3つ、精製油用パイプライン2つが稼働している。
  8. 包括的和平合意により、現存の油田から生産される原油は南北自治政府で折半されるという合意がなされたため、自治政府にとって正確な原油生産量は重要な指標となった。
  9. バシール大統領らが主導した革命の10周年記念日である1999年6月までに原油輸出を開始するという大統領の要望に沿うため、CNPCは18カ月という短い工期で1500キロメートルにおよぶパイプラインを完成させた。なお工事には中国から中国人労働者1万人が動員された。