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政権交代で対中戦略を見直すマレーシア

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050601

2018年10月

マハティール首相、「一帯一路」に反旗を翻す?

今年5月の総選挙で首相に返り咲いたマレーシアのマハティール・モハマドは、8月17日から5日間にわたって中国を公式訪問した。これに先立つ7月、マレーシア政府は、「一帯一路」事業の認定を受け中国企業が受注した東海岸鉄道と2つのパイプラインの工事を凍結していた。日本など一部の外国メディアは、マハティール首相の訪中を「『一帯一路』に反旗」などとセンセーショナルに報じた。対照的に、現地メディアの報道はおしなべて落ち着いたものだった。マハティール首相は最終日の記者会見で凍結中の事業の中止が決まったと発表したが、マレーシアのメディアはそれを「一帯一路」構想への挑戦とは見なしていない。マハティール首相自身もまた、事業中止を喜んだり誇ったりするのではなく、苦渋の表情を見せた。いったいどういうことなのか。

ナジブ政権期に中国企業のプレゼンスが高まる

2000年代からの急速な経済発展により、中国は東南アジア諸国における経済的プレゼンスを飛躍的に高めた。マレーシアも例外ではなく、2009年には中国が最大の貿易相手国になった。奇しくもこの年の4月、マレーシアではナジブ・ラザクが首相に就任した。ナジブは、1974年に中国と国交を樹立したアブドゥル・ラザク・フセイン第2代首相の子であり、首相就任の2カ月後には中国を訪問して歓待を受けた。  

ナジブ政権期を通じて、中国との経済関係は拡大し続けた。中国からの海外直接投資のストックは、2009年時点では6.85億リンギで全体の0.3%を占めるに過ぎず、シェア1位のシンガポール(478.7億リンギ)、2位日本(324.1億リンギ)、3位アメリカ(311.2億リンギ)には遠く及ばなかった。しかしこの数値は、2017年時点では180.5億リンギまで伸びてシェアは3.2%、香港と合算すれば691.6億リンギにおよび、日本(718.1億リンギ)に肉薄している1(現在1リンギは約27円)。  

中国からの海外直接投資の単年の純投資額は、2013年に過去最高額を更新して以降、急速に伸びている。その背景に、2013年に中国の習近平国家主席が提唱した「一帯一路」構想がある。中国との合意により「一帯一路」事業に認定された案件には、冒頭で触れた東海岸鉄道(550億リンギ)と2つのパイプライン(53.5億リンギ、40.6億リンギ)のほか、クアラルンプールとシンガポールを結ぶ高速鉄道(550~740億リンギ2)ならびにターミナル駅を中心とする複合施設バンダル・マレーシア(74億リンギ)、マラッカの港湾開発事業ムラカ・ゲートウェイ(430億リンギ)などがある3

政府系投資会社1MDBを支えた中国マネー

ここ数年、中国からの投資が急増した背景には、マレーシア固有の事情もある。ひとつは政府系投資会社であるワン・マレーシア開発公社(1MDB)の経営不振である。中国企業からの投資の一部が、資金の不正流用によって生じた1MDBの経営危機を糊塗するために使われた疑いが濃いのである。

1MDBは、2009年にナジブ前首相のイニシアティブのもとで設立されたが、2014年3月には420億リンギ(1.13兆円)の負債を抱え、破綻の危機に瀕していた。このとき、1MDB傘下の電力会社や不動産開発事業を買い取って1MDBの債務削減に貢献したのが中国企業であった。これらの取引は、将来のインフラ開発事業受注に向けた布石と見られていた。また、ナジブ政権期に中国企業が受注した前述の東海岸鉄道やパイプライン事業については、建設資金が1MDB救済に流用された疑いがあり、現政権下で調査がなされている。

今年7月にナジブ前首相は、1MDB関連会社との現金授受にかかわる職権濫用と背任の疑いで逮捕、起訴され、8月には資金洗浄の疑いで追起訴された。1MDBの資金は、ナジブ前首相と親族の私的流用のほかに、当時の政権党である統一マレー人国民組織(UMNO)の選挙資金として使われた疑いがあり、UMNO組織も捜査の対象になっている。

華人与党の生き残り戦略としての対中接近

ナジブ政権が中国との経済関係の強化に熱心に取り組んだもうひとつの狙いは、国民の4分の1を占める中国系市民(華人)の票の取り込みである。マレーシアの政治は、2008年の総選挙を境に転換期に入った。この選挙では、民族にこだわらない格差是正を公約に掲げた野党が都市部で躍進し、アブドラ・アフマド・バダウィ首相が早期退任に追い込まれた。このとき首相に就任したナジブは、政治的自由化や、民族を問わず所得下位40パーセント層を支援する再分配政策など、都市住民、とくに華人有権者の要求を意識した政策に取り組んだ。だがその効果は薄く、2013年の総選挙ではUMNOの主要なパートナーだったマレーシア華人協会(MCA)など華人与党が惨敗を喫した。

2013年総選挙では、得票数で野党が与党を上回っていた。著しい一票の格差と、過大代表になっている農村部のマレー人の支持によって与党連合が救われたかたちであった。華人与党惨敗という結果を受けて、第2次ナジブ内閣は実質的にブミプトラ(先住民族)内閣になった。華人を意識した政策に集票効果はなく、次の選挙でマレー人票を失えば政権を失うという状況のもと、政策は選挙前とは様変わりした。政府はブミプトラ優先政策と権威主義的社会統制の再強化に向かったのである4

厳しい環境に直面した華人与党にとって、唯一の追い風が「一帯一路」構想であった。MCAは地方政府を含む中国の当局や党、企業と、マレーシア企業との橋渡し役を務めることに活路を見いだし、中国側へのロビー活動や両国企業のマッチング・セミナーの開催、「一帯一路」構想を支持する華人業界団体の組織化など、さまざまな事業を手がけた。

こうしたMCAの活動を中国共産党も評価し、2017年5月には教育文化部門での協力に関する覚書を両党間で締結している。その際MCAのリャオ・ティオンライ総裁は、中国共産党側カウンターパートの宋濤・中央対外連絡部長が「マレーシアの華人コミュニティとMCAの団結を望む」と述べたとメディアにアピールした5。MCAは、国内の華人企業と中国当局をつなぐ公式窓口の役割を得ることで華人社会の支持を取り戻そうとしたのである。

対中関係が総選挙の争点に

今年5月に行われた総選挙では、対中政策が争点のひとつになった。マハティールが率いる野党連合の希望連盟は、「外国が受注した大型事業に関する詳細な調査の実施」を「100日間で実施する10の公約」のひとつに掲げた。この「外国」が中国を意味することは誰の目にもあきらかであった。マハティールが、中国企業が主体となって開発を進めるジョホール海峡の人工島「フォレストシティ」などの事業を繰り返し批判していたからである。

これに対してナジブ首相は、野党が権力を握ったら中国との契約をすべて破棄し、両国の関係を駄目にしてしまうと述べ、与党連合の国民戦線でなければ良好な対中関係は維持できないと訴えた6。きわめつけはMCAの選挙宣伝である。MCAは運動期間中に設置した看板に、同党のリャオ総裁と中国共産党の習近平総書記が握手する写真を掲げ、両党の関係の良さを華人有権者にアピールした。  

だが結果的に、与党の選挙戦術は不発に終わった。ある調査によれば、華人の95%はマハティールが率いる希望連盟に投票したという7

写真:MCAの選挙宣伝用の看板

MCAの選挙宣伝用の看板(MCAウェブサイトより)
前政権の不始末の処理に悩む新政権

総選挙後まもなく、新政権はクアラルンプール=シンガポール間の高速鉄道事業の中止を発表し、公約どおり東海岸鉄道など大型事業の見直しに着手した。その背景には、予想を上回る規模に達していた政府債務の存在がある。2017年の会計検査報告によれば、2016年末時点の連邦政府債務は6,485億リンギであった。だが政権交代後にマハティール首相は、政府債務は1兆リンギを超えていると発表した。財務相の説明によれば、2017年末時点では連邦政府債務6,868億リンギに加えて、政府系企業等の借入に対する政府保証が1,991億リンギ、官民パートナーシップ事業にかかわる支払義務が2,014億リンギあるという。これらも政府の負債と見なすべきであり、その総額は1兆873億リンギ、GDPの80.3%に相当するというのが、新政権の見解である。

しかし、契約済の事業を撤回するのは容易ではない。着工済となればなおさらである。シンガポールとのあいだの高速鉄道の建設はまだ始まっていないが、すでに両国政府間で契約を締結しており、一方的に中止と決めれば多額の違約金が生じる。そのためマレーシア政府は、いったんは中止と発表したものの、費用が下がるなら再検討すると立場を改めている。東海岸線とパイプラインは着工済のため、中止となれば投入した費用が無駄になるのに加え、補償金を支払わねばならない。そのためマハティール首相は、7月に特使を派遣して契約の見直し交渉にあたらせたが折り合いがつかず、冒頭でみた訪中最終日の中止発表にいたった。  

中止となれば、多額の資金を投じたにもかかわらず使えるものは何も残らず、補償金の支払い義務だけが残る。それでも損切りを決断せざるを得ないほど、契約の条件が悪く、政府の債務危機が深刻だということだろう。報道された嫌疑が事実なら、ナジブ前首相は1MDBを通じて国庫から巨額の資金を抜き、選挙費用に充てたり私腹を肥やしたりしていたことになる。その1MDBを救済するために、東海岸線とパイプラインの建設資金が流用された疑いがあることは、前述のとおりである。前政権の不始末の後処理に苦しんでいるというのが、いまのマハティール政権の実情である。  

ナジブ政権の利益のために結ばれた契約を、国益保護の観点から見直す。この作業を経て下されたのが、事業の中止という判断だったということだ。帰国後にマハティール首相は、まだ中止と決めたわけではないと前言を翻す発言をしており、結論がどうなるかわからなくなった。それだけ対応がむずかしい案件だということだろう。もとよりマハティール首相は、「一帯一路」構想には反対ではないと、政権交代直後の記者会見で明言している8。  

マレーシアのような小国は、国際関係の大枠を変えるだけの力をもたないため、外部環境に適応して国益を増進できるように立ち回る。その際の基本戦略は、互恵関係の構築である。マハティール政権は、前政権期に始まったものでも、アリババ社のジャック・マー会長との関係などは有益と見て、積極的に引き継いでいる。各国が抱える事情をよく見ずに、その対外姿勢を安直に反A国、親B国などと解釈するなら、かれらの意図を見誤ることになろう。

(2018年9月3日脱稿)

著者プロフィール

中村正志(なかむらまさし)。アジア経済研究所地域研究センター東南アジアI研究グループ長。博士(法学)。専門は比較政治学、マレーシア現代政治。おもな著作に、『パワーシェアリング――多民族国家マレーシアの経験』東京大学出版会(2015年)、『ポスト・マハティール時代のマレーシア――政治と経済はどう変わったか』(共編著)アジア経済研究所(2018年)など。

書籍:パワーシェアリング

書籍:研究双書

  1. 海外直接投資に関する数値は、マレーシア中央銀行Monthly Statistical Bulletinにもとづく。
  2. この数値は前政権期の試算。新政権は、高速鉄道の建設費は1,100億リンギに達すると主張している(The Sun Daily, July 18, 2018)。
  3. かっこ内は総工費。出典は現地紙報道。
  4. 2013年総選挙後の政策転換については、拙稿「マレー民族主義と権威主義に回帰するナジブ政権」 (『アジ研ワールド・トレンド』2015年2月号)をご参照いただきたい。
  5. Star, May 13, 2017.
  6. Star, Feburary 25, 2018.
  7. Straits Times, June 14, 2018.
  8. Star, May 11, 2018.