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2017年ケニア大統領選挙をめぐる混乱(5・終)

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050474

2018年8月

はじめに

2017年9月1日、ケニアの最高裁が下した判断は、ケニア国民にとどまらず世界中を驚かせた。同年8月におこなわれた大統領選挙を最高裁が無効とし、これにより、すでに選管が宣言していたにもかかわらず、現職U・ケニヤッタ大統領の再選が無効になったのであった。ケニア国内のメディアはもとより、CNN、BBCなど国際メディアもこぞって、この件をアフリカ初であるとして驚きとともに報じた。以後ケニアでは、再選挙の実施、野党側による選挙ボイコットと、選挙をめぐって混乱が続いた。その混乱とはいったいどのようなものだっただろうか。背景には何があったのか。その後、問題は解決したのだろうか。

最終回のこの欄では、2017年10月の再選挙とその後の展開を整理し、注目すべき課題を展望してみよう1

ボイコットの呼びかけ

再選挙の実施が予定された10月26日が近づくにつれ、首都ナイロビとオディンガの地元の旧ニャンザ州、および同州に隣接する旧西部州などでは治安がさらに悪化していった。10月半ばには、オディンガの地元の町キスムで野党連合のNASAが選管改善を求める街頭行動を実施し、その際、買い物に出ただけの少年が警官に射殺される事件が発生した(Nation, October 17, 2017)。

また、NASA側のカウンティ知事らも再選挙のボイコットを呼びかけるなか、旧ニャンザ州とその周辺では、選管係官が暴力を受けたり、暴力を恐れて辞任したりするケースが多発した。同地域の選管担当者らからは、「自由な選挙の実施が困難」との書簡も選管本部に送られた。選管委員長自身が、再選挙3日前の10月23日になってもまだ「自由、公正で信頼の置ける選挙を実施すると保証するのは難しい」と発言するほど事態は悪化した(オンライン版Star, October 24, 2017)。

再選挙の実施と混乱

大統領選挙の再選挙が実施された10月26日、全国で13万人の警察官が動員された。野党支持地域として知られる旧ニャンザ州、旧西部州の各地では、選管係官の辞任、野党支持者らによる幹線道路の封鎖や、投票用紙の未着など様々な混乱が発生した。オディンガの地元、旧ニャンザ州のキスム・カウンティでは、再選挙の実施を阻止しようとする野党支持の若者らと警官隊が衝突し、少なくとも3人が死亡した。

26日午後、選管は治安上の考慮を理由として、旧ニャンザ州の4カウンティにおける大統領選挙の再選挙投票を2日間延期した。しかし、翌27日になっても野党支持地域では混乱が続いた。旧西部州では男性1人が警官に射殺されたほか、ナイロビでも児童3人を含む10人以上が負傷、少なくとも3人が射殺された。

結局、その後も旧ニャンザ州の4カウンティでは再選挙は実施されなかった。10月30日、4カウンティでの投票がないまま、選管のチェブカティ委員長はついにケニヤッタ大統領の再選を宣言した。

再選挙では、ケニヤッタ大統領の得票は748万3895票で全体の98%強と圧倒的多数を占めた。ボイコットを呼びかけたオディンガの得票は7万3228票であった。選管は、再選挙が実施できなかった旧ニャンザ州の25選挙区について、再選挙を実施しないとし、全国平均の投票率は最終的に39%にとどまった。

表1 ケニア大統領選挙における投票率、得票率の変化

表1 ケニア大統領選挙における投票率、得票率の変化

(注)2017年8月の大統領選挙結果は、最高裁判決により無効とされている。
(出所)選挙区確定・選挙管理委員会(IEBC)ウェブサイトより筆者作成。
歴史的に低かった投票率

広範なボイコットにより国政選挙が実施できない事態は、ケニアでは極めて珍しい。1963年の独立以来の55年間で、これだけの規模で投票が実施されなかったのは、この2017年10月の大統領選挙の再選挙を除くとたった一度、1963年の独立時のケニア北東部における国会議員選挙のケースだけである(当時のケニア北東部では、ケニアからの分離とソマリアとの併合を求める論議が活発化していた)。

1991年に民主化したあとのケニアでは、国政選挙の投票率は概して高く、たとえば大統領選挙の場合、2007年が71%、2013年は86%、2017年8月では78%にそれぞれ達している。全国平均で39%という2017年10月の再選挙の投票率がケニアの水準でどれほど低いかが分かるだろう。

2017年10月の再選挙では、投票ができなかった選挙区は上でみたように25にのぼり、残る265選挙区(選挙区総数は290)でも、野党支持地域を中心に119もの選挙区で投票率が20%を下回った。これとは対照的に、与党ケニヤッタ大統領の地元にあたる旧中央州とその周辺、ルト副大統領の地元にあたる旧リフトバレー州では平均投票率64%、旧中央州に限ると平均83%という極めて高い投票率が達成された。

現職ケニヤッタ大統領の98%という圧倒的な得票が、実は地元での得票に偏っており、全国的な支持を意味しないことは明白であった。

ケニヤッタ大統領による就任宣誓式挙行

2017年10月の再選挙後、オディンガは、ケニヤッタ政権を承認しない立場を表明し、ロイターとのインタビューでは暫定政権が必要だと発言したほか、外遊先の米国での講演においては分離独立を求める可能性にも言及した(オンライン版Star, November 9, 10, 2017)。

オディンガの帰国に際し、警察は国際空港とその周辺を封鎖し、支持者やジャーナリストらの出入りを禁じた。オディンガを出迎えようと集まった数千人は、代わりに空港近くの街路に集結したが、そこで治安当局との衝突がおこり、少なくとも3人が射殺された(Nation, November 18, 2017)。オディンガらがこの日に政治集会を開く予定だったナイロビのウフル・パークも、警察によって封鎖された。

写真:野党側の予定していた政治集会の会場を封鎖する機動隊

野党側の予定していた政治集会の会場を封鎖する機動隊(2018年1月)。
機動隊の背後に「ナイロビ/ウフル・パーク」の看板がみえる
与野党の対立は激しさを増していたが、ケニヤッタ大統領は、再選挙の結果を有効とした最高裁判決を受け、2017年11月28日にナイロビで大統領就任宣誓式を挙行し、大統領に就任した。
「人民の大統領」

野党側は、ケニヤッタ大統領を承認しないとして、就任宣誓式の当日にナイロビの別の場所で、「オディンガが帰国した際に治安当局に射殺された30人以上の野党支持者を追悼するため」として、野党集会を開催しようとした。警察はこの時も野党集会の会場を封鎖し、集会会場に向かって行進しようとしたオディンガらと支持者らに対しては、放水銃や催涙弾を使用した。

オディンガが「人民の大統領(People's President)」として就任宣誓をおこなうと発言したのはこの時だった。オディンガは路上で演説し、ケニヤッタを大統領として認めないとした上で、8月の大統領選ではサーバ上のデータによれば自分(オディンガ)が勝利していたと述べて、2017年のケニア独立記念日(12月12日)に自分が大統領に就任すると宣言したのである。オディンガは、その法的根拠は人民を主権者とした憲法第1条にあると主張した(Nation, November 29, 2017)。

オディンガが「人民の大統領」を自称することは、選挙で当選した大統領(ケニヤッタ)と、それを不服とする野党側候補(オディンガ)の双方が正当な大統領であると主張し合うことを意味する。そうなればケニアは、建国以来初めて、二重権力ともいうべき状態に突入することになる。事態がどれほど流動化するか不透明になるなか、2017年から2018年初頭にかけては、国内の各種団体や、欧米外交団などによる仲裁努力が続けられた。

野党側の足並みの乱れ

しかし、実際のところ、ケニヤッタ大統領が就任宣誓式をおこなったその段階では、野党側の打つ手は限られていた。与党は上院で過半数を獲得し、下院でも49%の議席を単独で獲得していた。全47カウンティ知事のうちやはり過半の25知事が与党に属していた。2017年国政選挙は、総体として与党の勝利に終わっていたのである。オディンガを擁立した野党連合NASAは、大統領の再選挙ボイコットのあと、急速に瓦解に向かった。

最初に野党側の足並みの乱れが明らかな形で現れたのは、2017年11月末であった。NASAが国会下院議長に提出した、院内総務、国会野党代表などのリストについて、オディンガが党首を務めるODMに人選が偏っているとNASA傘下の他の政党から抗議の声が上がった(人選の変更はおこなわれなかった)。

また、オディンガは幾度かの延期のあと、「人民の大統領」の就任宣誓式を年が明けた2018年1月30日に挙行したが、この就任宣誓式に、NASAの共同代表である残りの3党首は姿をみせなかった。3党首は、この段階ではNASAの分裂を否定していたものの、それから約一カ月後の3月9日、NASAの事実上の分裂を際立たせる決定的な出来事がおこった。

ケニヤッタ大統領とオディンガ元首相の「握手」
2018年3月9日。2017年8月の大統領選挙以来、直接の会談すら成立していなかったはずのケニヤッタ、オディンガの両者が、大統領府前の通りに揃って姿を現した。ふたりは、協調をうたった声明を順繰りに読み上げ、笑顔で握手を交わすパフォーマンスをおこなった。その後のインタビューであきらかにされたのは、ケニヤッタとオディンガの両者が、電話などの手段を用いて秘密裏に直接の交渉を続けていたことだった。

写真:ケニヤッタ大統領(向かって左)とオディンガ元首相

ケニヤッタ大統領(向かって左)とオディンガ元首相

オディンガは、この日以降、ケニヤッタ大統領を承認しないとしてきたそれまでの立場を180度ひるがえして、ケニヤッタ大統領の支持に回った。「握手」以前の対決姿勢からみれば、その変化はまさに青天の霹靂だったといってよい。NASA側の残る3党首は事前に相談がなかったとし、不快感を表明した。

2018年3月の「握手」以後、ケニア政治は新しい局面に入ったとみてよい。ケニヤッタとオディンガの秘密交渉には、野党NASA側だけでなく、ケニヤッタ大統領のランニングメートのルト副大統領も参加していなかった。ルトは「握手」を歓迎する旨のコメントを寄せたが、自身が2022年大統領選挙に出馬を予定しているために、潜在的ライバルであるオディンガとの協調は基本的に困難である。「握手」以後のケニアでは、むしろ与党内部でのケニヤッタ派とルト派の不協和音が報じられ始めた。「ハンドシェイク」と呼び慣わされていったこの3月9日のイベントは、5年後に控えた次の大統領選挙に向けた政治エリートの合従連衡の大胆な組み替えを予感させるものだといってよい。

鳴らされる警鐘

2017年8月の大統領選挙以来、混乱の続いてきたケニアであったが、このケニヤッタとオディンガの手打ちにより、政治的緊張は少なくとも表面上はいったん弱まったようにみえる。しかし、これまでみてきた経緯に明らかなように、選管への不信は解消されず、また2017年の大統領選挙結果それ自体が野党支持者に受け入れられたわけでもない。混乱の原因は何一つ解消していないのである。

ケニアの政治アナリストのR・ショウは、「いまではどこに行っても露骨なトライバリズムが明白である……ケニアは危険なほど分極化し疲弊している」として、「ケニアは紛争に非常に近い状態にある」と警鐘を鳴らした(Nation, October 27, 2017)。ケニア政治に関する世界的論客のひとり、K・カニンガも、「政党、選管、司法への支持・不支持の境目がエスニックなラインと重なる形で構成される」傾向が生まれていると指摘し、「わたしたちはケニアを徐々に喪失しつつある」と強い懸念を表明している(Nation, October 8, 2017)。

政治的自由化と暴力のゆくえ

1991年の民主化から早27年が経つ。民主化が必ずしも平和を意味しないことは他国の例を引くまでもない。ケニアでも、選挙という民主主義の手続きそのものが、社会的対立や暴力の主たる原因になり続けて今日に至っている。

ケニヤッタ大統領とオディンガ元首相の「握手」が象徴するように、政治的エリートは国政選挙のたびに機会主義的な離合集散を繰り返してきた。エスニックな動員を主導する政治的エリート本人が傷つくことは稀であり、多くの場合、暴力の犠牲になるのは、市井の、ふつうの人びとである。

かつて、民主化の動きに抗してダニエル・アラップ・モイ第2代大統領は、「複数政党制化すれば部族主義がはびこる」と強弁した。モイの発言を、権力者の妄言と退けられる日はくるのだろうか。

写真:ケニア第2代大統領に就任して間もない頃のダニエル・アラップ・モイ

ケニア第2代大統領に就任して間もない頃のダニエル・アラップ・モイ(1979年)。
モイの統治下で、1982年にケニアは正式に複数政党制を廃止した(複数政党制の回復は1991年)。

他のアフリカ諸国と同様、与野党の支持基盤が地域/民族的な分布と結びつけられる形で作られる傾向はケニアでも強まる一方であり、とくに2000年代以降は国政選挙のたびにエスニックな亀裂が煽られ、社会不安が昂じてきた。全国的な国内紛争に発展した2007/08年の「選挙後暴力」を、これからも1回限りの出来事として封じ込められるかどうかが、いまもケニアでは問われている。

国政選挙という危険なゲームの次回開催は2022年である。今後の動きが引き続き注目される。(おわり)

著者プロフィール

津田みわ(つだみわ)。アジア経済研究所 地域研究センター主任研究員。法学修士。専門はケニア地域研究、政治学。主な共編著に『ケニアを知るための55章』(明石書店)、最近の共著に『現代アフリカの土地と権力』(武内進一編、アジア経済研究所)など。

書籍:ケニアを知るための55章

書籍:現代アフリカの土地と権力

写真の出典
  • 野党側の予定していた政治集会の会場を封鎖する機動隊 By DEMOSH (Flickr) [CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons
  • ケニヤッタ大統領とオディンガ元首相 By Amanda Lucidon (Uhuru Kenyatta photograph) / World Economic Forum (Raila Odinga photograph) [CC BY-SA 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)], via Wikimedia Commons
  • ダニエル・アラップ・モイ第2代大統領 By Croes, Rob C. / Anefo [CC BY-SA 3.0 nl (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/nl/deed.en)], via Wikimedia Commons
  1. 本稿執筆にあたっては、Daily Nation、East African、Standard、Star等の主要な現地紙および、Independent Electoral and Boundaries Commission、Kenya Law等の主要なサイトを参照した。紙幅の都合により、本文中での引用を除いて記事の詳細については省略する。