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92歳のマハティール氏がなぜ次期首相候補なのか(後編)

 

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2018年4月

野党側の動機は?

前編では、野党連合を率いてナジブ政権に挑むことになったマハティール氏の動機について、これまでの経緯を振り返って推察した。マハティール氏がナジブ首相と対立し始めたきっかけは政策志向の相違であった。ナジブ政権発足当初の改革路線にマハティール氏が異を唱えたのである。ところが、マハティール氏が政府系投資会社であるワン・マレーシア開発公社(1MDB)の乱脈経営を批判し、ナジブ首相の横領疑惑を追及し始めたことから、熾烈な権力闘争が始まった。首相の巻き返しにより党を追われたマハティール氏にとって、いまでは「ナジブおろし」が最重要目標であり、野党連合である希望連盟への参加はそのための手段である。本来、マハティール氏と野党のあいだには、政策志向の点で大きな隔たりがある。マハティール氏自身、野党指導者との関係は「敵の敵は味方」という性質のものであることをインタビューで認めている(『日本経済新聞電子版』2018年2月1日付)。

もう一方の当事者である野党指導者のなかには、マハティール政権期に投獄されるなど、辛酸をなめた者もいる。かれらはなぜ、マハティール氏を受け入れ、希望連盟の次期首相候補として担ぐことになったのか。

希望連盟の指導者たち

希望連盟は、人民公正党(PKR)と民主行動党(DAP)、国民福祉党(アマナ)の3党が2015年9月に結成した政党連合である。この年の6月まで、PKRとDAPは汎マレーシア・イスラーム党(PAS)とともに人民連盟を組んでいたが、DAPとPASの対立が激化して人民連盟は瓦解した。その後PASの反主流派が離党して旗揚げしたのがアマナである。マハティール氏が2016年9月に結成したマレーシア統一プリブミ党(PPBM)は、翌年3月に希望連盟に加盟し、7月にはマハティール氏が希望連盟の会長(Chairman)に就任した。その他のおもな指導者は以下の面々である。

まず紹介すべきはアンワル・イブラヒム氏(70)であろう。アンワル氏はPKRの実質的な指導者であり、野党連合の顔役でもあった。しかし、今回の選挙には出馬できない。「自然の摂理に反する性交渉[注]」(同性愛)を犯した罪で2015年2月から服役しているからだ。本人は無実を主張しており、かれを政治的陰謀の被害者とみなす人も多い。希望連盟では「事実上の指導者」(de-fact leader)の肩書きを与えられている。

写真:アンワル氏と妻のワン・アジザ氏

アンワル氏と妻のワン・アジザ氏

アンワル氏は、かつては副首相としてマハティール氏に仕え、後継首相の最有力候補と目された人物である。財務相も兼任する実力者であった。ところが、1997年5月に始まったアジア通貨危機への対応をめぐってマハティール氏と対立し、98年9月に副首相の座を追われた。解任後まもなく、アンワル氏はマハティール政権打倒を訴えて街頭デモを組織したため投獄されてしまう。以後、2004年9月まで服役したが、罪状は、副首相の立場を利用して自らの同性愛疑惑に関する捜査を妨害した職権濫用罪であった(このときの同性愛疑惑については無罪が確定)。

マハティール政権が強権を発動したこの事件をきっかけに、それまでは互いに反目していた野党が共闘態勢を築いた。アンワル支持者が結成した国民公正党(PKRの前身)を仲立ちに、中国系市民をおもな支持母体とするDAPと、マレー人主体のイスラーム主義政党であるPASが初めて直接手を組んだ。与党連合の国民戦線に対抗すべく、3党で「代替戦線」を結成したのである。出所後のアンワル氏は、野党各党をつなぎ止める役割をはたし、2015年に再び収監されるまで、野党連合を象徴する指導者として活躍していた。

服役中のアンワル氏の代理人を務めているのが、その妻でPKR党首でもあるワン・アジザ・ワン・イスマイル氏(65)である。ワン・アジザ氏はもともと政治家ではなかったが、アンワル氏逮捕の翌年の選挙で当選し、下院議員になった。アンワル氏が2008年に被選挙権を回復するとワン・アジザ氏は議員を辞職し、補欠選挙でアンワル氏が国政に復帰する足がかりをつくった。2015年にアンワル氏が再び収監されると、同氏が失職したために実施された補欠選挙にワン・アジザ氏が出馬して当選した。

ワン・アジザ氏は、希望連盟では総裁(President)の肩書きをもち、今回の選挙で勝利した暁には副首相に就任することが決まっている。マハティール(会長)、アンワル(事実上の指導者)、ワン・アジザ(総裁)の3氏が、希望連盟のトップ3である。

その下に位置するのは3人の副総裁(Deputy President)である。DAPの書記長を務めるリム・ガンエン氏(57)は、その筆頭格といえる。リム・ガンエン氏はDAPの最高実力者であり、2008年からペナン州の州首相を務めている。マハティール政権期には、扇動法違反などの罪に問われ1年間服役した経験をもつ。

              ↓リム・ガンエン氏

写真:リム・ガンエン氏写真:リム・キッシャン氏

                                               リム・キッシャン氏↑

かれが率いるDAPは、シンガポールの人民行動党(PAP)をルーツにもつ政党である。DAPは、シンガポールがマレーシアの一部であった時代にリー・クアンユーPAP党首が唱えた「マレーシア人のマレーシア」というスローガンを引き継いだ。このスローガンは、裏を返せば、マレーシアは「マレー人の国」ではないという意味である。DAPは結党以来、もっぱらノン・マレー、ノン・ムスリムの代弁者として活動してきた。

リム・ガンエン氏の父、リム・キッシャン氏(77)は、1969年から99年まで党書記長を務めたDAPの顔役であり、いまでも党内に強い影響力をもっている。マハティール政権期には、マハティール氏の主要な政敵の一人であり、投獄された経験をもつ。キッシャン氏は、希望連盟の役職には就いていないが、今回のマハティール氏との提携に早くから積極的な姿勢を示しており、共闘態勢実現の立役者といえる。

残る2人の副総裁は、2015年に結成されたアマナのモハマド・サブ党首(63)と、PPBM党首のムヒディン・ヤシン前副首相(70)である。

              ↓モハマド・サブ氏

写真:モハマド・サブ氏 写真:ムヒディン・ヤシン氏

                                               ムヒディン・ヤシン氏↑

モハマド・サブ氏は、もともとイスラーム政党PASの副党首であった。党内「進歩派」の代表格であり、野党協調体制の維持に尽力したが、PASとDAPとの対立が激化すると、アブドゥル・ハディ・アワン党首ら党内のウラマー(宗教知識人)指導者との関係が悪化した。2015年6月の党役員選挙では、モハマド・サブら進歩派が完敗し、その直後にPASはDAPとの断交を決議、人民連盟は瓦解した。その3カ月後にモハマド・サブらはアマナを結党し、DAP、PKRとともに希望連盟を結成した。

ムヒディン前副首相はアンワル氏と同じ1947年生まれで、アンワル氏が与党UMNOの副総裁の座を得た1993年の党役員選挙で副総裁補(定数3)に最多得票で当選した。この役員選挙で頭角を現し、当時「新しいマレー人」と呼ばれ注目を集めた政治家のうちの一人であった。ムヒディン氏は地元ジョホール州の州首相を2期10年務めた後、連邦政府の閣僚を歴任し、2009年のナジブ政権発足の際に副首相に就任した。ナジブ首相に取ってかわり得る実力者であったが、前編でみたとおり、1MDB問題で首相の方針に異を唱えたために更迭された。

第3極としてのPAS

このように野党連合のおもな指導者は、開発独裁と呼ばれたマハティール政権の「被害者」ばかりだといっても過言ではない。ではなぜ、かれらはマハティール氏と手を組んだのか。その背景には、PASとの断交によって薄れたマレー人への訴求力を回復しなければならないという事情がある。

2013年総選挙の後、PASとDAPが激しく対立したのは、PASがハッド刑実施のための法制度改革にのりだしたためである。

ハッド刑とは、飲酒はむち打ち、窃盗は手足の切断などと定められた、イスラーム刑法上の刑罰である。イスラーム主義政党のPASは以前からハッド刑の実施を目標としており、同党が州政権を握るクランタン州にはそのための州法が存在する。しかし、連邦憲法において刑法は連邦政府の管轄と定められており、刑を執行する機関も存在しないため、PASはこの州法を施行できずにいた。

DAP、PKRと連携するにあたり、PASはハッド刑実施という目標を棚上げしていた。しかし、2013年総選挙で議席を減らすと、PASのウラマー指導者は元来の政策目標の追求に回帰していった。かれらは、ハッド刑の対象はイスラーム教徒に限られると説明しているが、イスラーム教徒ではない市民は強い懸念を抱いている。DAPはこうした懸念を代弁し、ハッド刑実施に向けたPASの動きをきびしく批判した。両党は非難の応酬を繰り広げた末、連携関係の解消に至る。

PASの離脱によって野党連合の勢力は縮小した。2013年選挙では、下院の定数222のうち89議席を野党連合が得ており、そのうちの21議席はPASの議席であった。PAS所属議員のうち6人は新党アマナへ、1人はPKRへ移籍したものの、野党連合は14議席を失った。

議席だけでなく、野党連合は動員力も失った。宗教政党のPASは高い動員力を誇る。分裂前の2015年3月時点でPASの党員数は100万人に達しており、アマナ結党後の2016年6月時点でまだ80万人が同党にとどまっていた。つまり、新党に移籍した党員は2割ほどである。PASの離脱後、野党連合主催のデモや集会への動員数は目に見えて低下した。

次の総選挙において、マレー人が多い選挙区から出馬する野党連合の候補は、与党UMNOだけでなく、第3極となったPASの候補とも争わなければならない。そのため野党連合は、マレー人に対する強い訴求力をもつリーダーを必要としていた。

政権交代に不可欠な「マレー人の津波」

そもそも野党連合が連邦政府の政権を奪取するためには、マレー人が多い農村部での議席獲得が不可欠である。前回の総選挙で野党連合の人民連盟は与党連合の国民戦線を上回る数の票を得たが、議席でははるかに及ばなかった。野党は都市部で躍進したものの、農村部では依然として与党支持が根強い。人口の少ない農村部に多くの議席が割り当てられているのに対し、人口密度の高い都市部の議席は相対的に少なく、一票の格差が著しく大きい。その結果、野党連合の得票率は50.9%に達したにもかかわらず、議席占有率は40.1%にとどまった。

マレーシアでは、都市部では中国系やインド系の市民が比較的多く、農村部ではブミプトラ(先住民族)人口の比率が非常に高い。野党が躍進し、それまでで最多の議席を得た2008年選挙では、マレー半島部の選挙区において、マレー人有権者の比率と与党候補の得票率とのあいだにはっきりした相関が生じた。マレー人の比率が高い選挙区ほど与党候補の得票率が高まる傾向にあったのである(r=0.459, n=165, p<0.01)。野党が得票率で与党を上回った2013年選挙では、相関はより強くなり(r=0.699)、傾きも大きくなった(図1)。

図 1 選挙区のマレー人比率と与党候補得票率の関係

図 1 選挙区のマレー人比率と与党候補得票率の関係

(出典)選挙委員会報告書および Berita Harian, March 10, 2008, May7, 2013, New Straits Times, March 10, 2008, May7 のデータにもとづき筆者作成

中国系市民の与党離れが顕著になった2013年選挙の直後、ナジブ首相がこの現象を「華人の津波」(Chinese tsunami)と呼んだ。野党側は、自分たちを支持したのは華人に限らないと主張してナジブ発言に反発したが、華人から得た票が多かったのは事実である。この選挙では、DAPが前回より10議席多い38議席を得て野党第1党になったのに対し、PKRは1議席、PASは2議席減らした。PASとの断交によって、いまでは野党連合内でのDAPのプレゼンスがますます高くなっている。この状況は、マレー人からの支持を拡大するうえで不利に働く。少なからぬマレー人がDAPに対して反感を抱いているからだ。2015年11月に実施されたある世論調査では、「DAPは反マレー、反イスラーム政党である」という意見に対し、マレー人回答者の64%が同意すると答えている(The Malaysian Insider, January 7, 2016)。

このような事情が、かつての政敵にマハティール氏と連携する動機を与えた。前回、野党連合は、マレー人大衆のあいだで高い人気を誇るアンワル氏を首相候補に担いで選挙戦に臨んだが、いまは同じ戦術はとれない。ワン・アジザ氏では役不足の感が否めず、「黒幕はDAPの華人政治家で、ワン・アジザは操り人形にすぎない」との批判をかわすのはむずかしい。そこでマハティール氏である。マレーシア国民は政権交代の経験がないため、与野党が入れ替わることに不安を感じる人もいるだろう。しかし、マレー民族主義者として名高いマハティール氏が野党の首相候補ならば、政権交代してもマレー人の既得権益がなくなることはなさそうだ。かれを次期首相候補に指名することで、政府が替わっても国の基本政策が変わるおそれはないことを示し、マレー人有権者に安心感を与えることができる。これこそ、マハティール氏を首相候補に担ぐことの最大のメリットであろう。

マハティール氏は92歳という高齢ではあるが、政権交代を実現したら国王に恩赦を求め、今年6月に釈放されるアンワル氏の被選挙権回復を実現してすみやかにポストを委譲すると明言している。このシナリオに現実味があると有権者に思わせることができれば、マハティール氏の年齢はさほど問題にはならないだろう。

マハティール氏が希望連盟の会長に就任して以降、野党指導者、とりわけDAPの幹部が、次の総選挙では「マレー人の津波」が起きると繰り返し主張している。今年3月に発表された希望連盟のマニフェストには、与党公約に似た農村向けの利益誘導策が盛り込まれた。

希望連盟内の最大勢力であるDAPは、選挙に向けて存在感をアピールするのではなく、むしろ目立たぬように低姿勢を貫いている。今回の選挙では、結党以来はじめて、自党のマークを使わずにPKRのマークを用いることに決めた。党のマークは投票用紙に記載されるもので、有権者にアピールするうえで重要なものである。もともと希望連盟の4党は、国民戦線と同様に政党連合として今回の選挙に参加し、希望連盟のマークを用いる予定だった。しかし政党連合としての公的な登録が間に合わなかったため、一時は各自のマークを用いることに決めた。ところが連邦議会解散の直前に、政府の結社登録局がPPBMに対して30日間の活動停止処分を下したため、マハティール氏らは無所属で出馬するか、名目的に他党に所属するしかなくなった。そこで希望連盟を構成する4党は、そろってPKRのマークを用いることにした。ただしこの戦術をとるのはマレー半島部だけで、DAPはサバとサラワクでは自党のマークを使用する。このことからも、DAPがPKRの旗印のもとで戦うのは、自党が目立つことで半島農村部のマレー人に警戒されるのを避けるためだと考えられる。

はたして、勝算は?

ではマハティール氏は、15年近いブランクを経て、再び首相の座を手にすることができるのだろうか。

「マレー人の津波」が起きる可能性はある。大量のマレー人票が一気に野党に流れるという現象は、マハティール政権下での最後の総選挙となった1999年選挙で実際に起きているからだ。皮肉なことに、このとき引き金になったのはマハティール政権によるアンワル氏の解任・逮捕であった。当時「アンワル・ファクター」の恩恵を受けて議席を増やしたのはPASである。

今回、マレー人の多い農村部でUMNOに挑むPPBMやアマナの候補が、得票率において善戦する可能性は十分ある。問題は、かれらはUMNOだけでなくPASの候補とも競わなければならないことである。マレーシアの選挙制度は単純小選挙区制であり、各選挙区の最多得票候補だけが議席を得る。これまでの例では、有力野党が候補を一本化できず三つ巴の争いになった選挙区では、高い確率で与党候補が勝っている。UMNOとPASがそれぞれ人的ネットワークを築いている農村部において、この両党の候補をおさえて新党の候補が1位になるのは容易ではない。マハティール氏自身、そのむずかしさに何度も言及している。

また、都市部において前回と同じ規模の票が野党に投じられるかどうかも定かではない。希望連盟がマハティール氏を迎え入れ、農村票を得るために与党と変わらぬ利益誘導策を打ち出したことを、冷ややかな目で見る市民もいる。今年に入り、野党に失望した市民のあいだで自然発生的に、棄権ないし無効票の投票を訴える呼びかけがツイッターを通じてなされた(#UndiRosak)。前回選挙の投票率は従来に比べ10ポイントあまり高く、それが都市部での野党の得票につながったが、そのときの盛り上がりを再現するのはむずかしいだろう。

マレー半島農村部の票の行方も重要だが、それ以上に重要なのがサバとサラワクの情勢である。前回選挙、前々回選挙ともに、半島部では165議席のうち国民戦線が85議席、人民連盟は80議席で、両者の勢力は拮抗していた。だがサバとサラワクは、依然として国民戦線の牙城である。前回選挙で野党は、サバとサラワクでも都市部を中心に議席を伸ばしたが、それでも57議席(ラブアンを含む)のうち9議席を得たに過ぎない。今回はムヒディン前副首相とともにUMNOを離党したシャフィ・アプダル前農村・地域開発相が創設したサバ伝統党が野党の戦列に加わり、希望連盟との選挙区調整にも応じている。とはいえ、この党がシャフィ氏の地元の外に支持を広げるのは容易ではなかろう。サバとサラワクで今回も野党が議席を増やすとしても、いまの9議席から15議席程度に伸ばすのが限界ではないか。

仮に、サバ・サラワクで野党が15議席を得るとすると、下院の過半数(112)を握るにはマレー半島部の議席を前回の80から97まで積み増す必要がある。与党に加えてPASとも競い合うなかでそれを実現するのは容易ではない。マハティール氏は、勝算は五分五分と述べているが(時事通信2018年4月22日)、もっと分は悪いに違いない。

とはいえ、選挙には不確実性がつきものであり、勝負は蓋を開けてみるまでわからない。投票で得た議席が過半数に届かなくても、ぎりぎりの接戦に持ち込むことができれば、与党やPASの議員の鞍替えを促すことで過半数勢力を形成できるかもしれない。いずれにせよ、政権交代を実現するには「マレー人の津波」が不可欠である。マハティール氏のカリスマが農村部に住むマレー人の心を動かすことになるのか、注意深く見守ることにしよう。

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著者プロフィール

中村正志(なかむらまさし)。ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター東南アジアI研究グループ長。博士(法学)。専門は比較政治学、マレーシア現代政治。おもな著作に、『パワーシェアリング――多民族国家マレーシアの経験』東京大学出版会(2015年)、『東南アジアの比較政治学』(編著)ジェトロ・アジア経済研究所(2012年)など。

書籍:パワーシェアリング

書籍:東南アジアの比較政治学

[注]

マレーシア刑法は、377A条で男性同性愛が該当する行為を自然の摂理に反する性交渉と定め、377B条でその行為に及んだ者に20年以下の禁錮およびむち打ちを科すと定めている。マレーシア刑法は、イギリス植民地時代の1936年に施行されたもので、インドの刑法がモデルになっている。現在のインド刑法も、マレーシアと同じく377条で同性愛を自然の摂理に反する性交渉と定義し、禁錮刑を科すことを定めている。なお、かつてはイギリスも男性同性愛を法律で禁じており、それが合法化されたのは、イングランドとウェールズでは1967年、スコットランドでは1980年、北アイルランドでは1982年のことである。時折、マレーシアで同性愛行為に刑罰が科されていることをイスラーム教に由来するものとする解説があるが、これは適切ではない。

写真の出典
  • アンワル氏と妻のワン・アジザ氏:By Firdaus Latif (Anwar Ibrahim) [CC BY-SA 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)], via Wikimedia Commons. 
  • リム・ガンエン氏:By Firdaus Latif (MALAYSIA GE13) [CC BY-SA 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)], via Wikimedia Commons.
  • リム・キッシャン氏:By Firdaus Latif (ANWAR IBRAHIM) [CC BY-SA 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)], via Wikimedia Commons.
  • モハマド・サブ氏:By Sham Hardy [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons.
  • ムヒディン・ヤシン氏:By State Department photo/ Public Domain [Public domain], via Wikimedia Commons.