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2017年ケニア大統領選挙をめぐる混乱(3)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050225

2018年3月

はじめに

2017年9月1日、ケニアの最高裁が下した判断は、ケニア国民にとどまらず世界中を驚かせた。同年8月に行われた大統領選挙について、最高裁が選挙そのものを無効とし、いったんは選挙管理委員会が宣言した現職U・ケニヤッタ大統領の再選も無効であると判断したのであった。ケニア国内のメディアはもとより、CNN、BBCなど国際メディアもこぞって、この件をアフリカ初であるとして驚きとともに報じた。

以後ケニアでは、再選挙の実施、野党側による選挙ボイコットと、選挙をめぐって混乱が続いた。その混乱とはいったいどのようなものだっただろうか。背景には何があったのか。その後、問題は解決したのだろうか。

第3回のこの欄では、問題の多かった2017年8月の大統領選挙について、野党側が司法を通じて不服を申し立てていった様子をふりかえってみよう1

                                ↓U・ケニヤッタ大統領
写真:U・ケニヤッタ大統領写真:R・オディンガ元首相
                           R・オディンガ元首相↑
抗議の暴動発生

「ケニヤッタ大統領の再選」は、与党側にしてみれば当然の結果だったかもしれない。2017年国政選挙では、同日に実施された他のいずれの選挙――上院議員選挙、下院議員選挙、カウンティ知事選挙――でも、ジュビリー党が単独で第1党になっていた2。EU選挙監視団をはじめとする国際的選挙監視団も、選管による発表からまもなく、ケニヤッタ大統領再選との結果を追認した。

しかし、野党支持者の多い地域の反応は、それらとはまったく異なったものだった。上述したナイロビのキベラやマザレ、オディンガの出身地に近い西ケニア旧ニャンザ州の地方都市などでは、ケニヤッタ再選との選管発表を受けて暴動が発生した。町中では銃声が聞かれ、抗議行動をおこなう人々と警察が衝突した。

死傷者の数は、発表媒体によって、数人からNASA側の主張した「100人」まで幅があったものの、少なくない数の犠牲者が発生したことは確かであった。ケニアのNGOのひとつ、「市民社会ネットワーク」(Civil Society Network)は、オディンガの地元だけでなく、インド洋に面した旧コースト州でも6人が死亡したとし、立ち入りできない地域があるため死者はもっと多いはずだとした。同じくNGOの「ケニア全国人権委員会」(Kenya National Human Rights Commission)が報告した数値はもっと多く、射殺による死者が24人にのぼったとした。ケニア赤十字は、少なくとも93人の死傷者を確認したと発表した。ナイロビのいわゆるスラム地域で10歳の少女を含む児童3人が治安当局の発砲により死亡した事件は、国内各紙でとりわけ大きく報じられた(たとえばNation, August 13, 2017; Star, August 12, 2017)。

州県制時代(~2010年)の州名

地図:州県制時代(~2010年)の州名

(出所)筆者作成。
先鋭化した与野党対立

ただし、こうした事態が野党支持の強い地域に集中しており、全国レベルへの拡大が見られなかったことにも目をとめておく必要がある。この頃のケニヤッタ大統領は、平和を呼びかけるとともに、オディンガに対して選挙への不服申し立ては司法を通じておこなうように呼びかけるなど、落ち着いた振る舞いを見せていた。外交団も「ケニヤッタ再選」を既定路線とする方向に動き出していた。12日の段階でイギリスの外務大臣がいち早くケニヤッタ大統領の再選を祝うメッセージを発したのに続き、14日までにEU、中国、イスラエルが、ケニヤッタ大統領の当選を祝うメッセージを寄せている。

つまり、この時のケニアでみられたのは、全般的な平静さと一部地域での暴力行使という、際立った対比であった。ケニアにおいては、与党支持者と野党支持者の分布が、地域ひいては民族のラインに沿って現れる傾向が、2007/08年紛争以来とりわけ強まっている。この2017年大統領選挙も例外ではなかった。選管が発表した「ケニヤッタ再選」という発表への反応は、選挙に不正があったとして受け入れを拒否する旧ニャンザ州、旧西部州、インド洋に面した旧コースト州などの野党支持地域と、再選を当然視する旧中央州(ケニヤッタの出身州)、リフトバレー州(ケニヤッタのランニングメートの出身州)など、それ以外の地域とで鋭い対照を示していたのである。

ケニヤッタ政権は、野党支持者に対する警察の暴力行使を基本的に容認していたとみてよい。先ほど挙げた児童3人が亡くなった事件に対しても内務大臣代行は、暴動の取り締まりに実弾は使用しておらず死者の報告も受けていないなどとしたうえ、発砲で死亡したのであれば、「犯罪者だったのではないか」と発言している(Nation, August 13, 2017)。

他方オディンガは、ナイロビで児童3人が死亡した直後、大統領選挙「結果」発表の後としては初めて人前に姿を現し、「ジュビリー側は票を盗んだうえ(中略)罪のない人びとの血を流した」と政権を強く批判し、大統領選挙で勝利したのは自分だとも発言した(Nation, August 14, 2017)。

与野党間の対決は先鋭化の度合いを高めていった。

データ公開の遅れ

ケニアでは、司法を通じた不服申し立てをおこなう場合、申し立ての期限は選管による結果発表から7日以内(この場合は8月18日まで)と憲法で定められている。しかし、結果発表から4日経った15日になっても、選管は大統領選の集計結果が記された34Aや34Bなどのフォーム類を公開できていなかった。選管が集計フォームの公開を拒否しているとのNASA側の批判に対し選管は、フォーム34Aの一部公開を始めたがフォーム34Bには技術上の問題があってまだアクセスできないと釈明し、依然として各フォームを外部が精査できる状態にないことを露呈した(Star, August 16, 2017)。その翌日になっても、選挙区レベルの集計結果が記されているはずのフォーム34Bの公開は進まず、投票所レベル集計結果が記されたフォーム34Aも全数公開に至っていなかった。

オディンガが司法を通じた不服申し立てをおこなうと発表したのはこの日(2017年8月16日)だった。オディンガは、「コンピューター作成の大統領が誕生した過程を世界に見せる」と述べて、(1)公示にない投票所があり、ケニヤッタ票の捏造に使用された、(2)ケニヤッタとオディンガの得票差が速報値で常に11%ポイントだったことは統計的に見て異常である、(3)フォーム34Aが一部公開されたのみでフォーム34Bは未だに示されず、全国集計結果に根拠がない、(4)選管事務官の殺害後にIEBCサーバがハッキングされた記録がある、など数多くの不備、不正があるとして選管による大統領選挙の運営を強く批判した。

オディンガのこの発表からまもなく、選管はついに選挙区レベルの集計結果が記載されたすべてのフォーム34Bを公開した。筆者もこの時公開されたフォーム34Bを閲覧したが、(1)選管係官や政党エージェントの署名がない、(2)用紙の書式がまちまちでコピーが使われた形跡がある、(3)投票所レベルの集計結果と整合性がないなど、不備な点が多々あることがみてとれた。また、この時点でもなお、40,000以上あった投票所の数だけあるはずのフォーム34Aのうち、約6,000点が未公開であり、精査自体ができない状態であった(Lynch 2017)。選管が何を根拠に大統領選挙の「結果」を宣言したのか、外部からは検証できない状態だったのであり、野党側が受け入れを拒否したことには一定の根拠があったといってよい。

表1 2017年8月のケニア国政選挙結果

表1 2017年8月のケニア国政選挙結果

オディンガ側による大統領選挙不服申し立て

オディンガ候補が実際に大統領選挙結果への不服を最高裁に申し立てたのは、申し立て締め切り当日の2017年8月18日であった。申し立て文書の中でオディンガとランニングメートのムシオカ副大統領候補は連名で、電子的選挙システム(仕組みについては連載第2回を参照)にみられた上述の問題を詳細に挙げたほか、ケニヤッタ政権の大臣3名が不法にケニヤッタを応援する選挙キャンペーンをおこなうなど、投票以前の段階でも問題があったと主張した3。これらを踏まえオディンガ側は、最高裁に対し、ケニヤッタ大統領再選との選管による発表を無効と宣言すること、選管およびケニヤッタ大統領が選挙不正をおこなったと宣言すること、大統領選挙全体を無効とし、選管に再選挙の実施を命令することを求めた(その他の請求内容はROK 2017を参照)。

これに対し、ケニヤッタ大統領の弁護団は、不正への関与を否定するとともに、選管係官のミスがあってもそれは選挙自体を無効にするには十分ではないと主張した。選管側は、ハッキングを否定したほか、集計フォーム類の偽造防止措置に法的義務はないなどとして、訴えは無効だと主張した。

2013年大統領選挙での司法判断――野党側敗訴

この不服申し立て裁判では、のちにオディンガ側の主張が認められ、大統領選挙そのものが無効と判断されることになる。しかし、訴えを起こしたこの段階では、当の野党側ですら不服申し立て裁判を重視する姿勢を見せていなかった。この点をもう少しみておこう。

司法を通じた不服申し立てにおいて、このとき重要な参照枠だったとみられるのは、2013年の大統領選挙である。ケニアでは、2013年の大統領選挙でも選管に対する深刻な疑義が呈され、野党側――大統領候補はやはりオディンガだった――が最高裁に不服申し立てを起こしている。しかし、この2013年の不服申し立て裁判で最高裁は、根拠に脆弱性のある司法判断をおこなって、当時の現職大統領が支持を表明していた候補――ケニヤッタだった――の当選を承認している。この司法判断は、中立性を欠いているとして様々な層から批判された(詳細は津田2016)。オディンガ側が、紛争回避を最優先するとして司法判断の受け入れを表明したことで、このときはいったん決着がついたが、司法の中立性への疑義は残ったままとなった。

2017年大統領選挙――不服申し立て裁判の軽視

話を2017年に戻そう。2017年8月に実施された大統領選挙への不服申し立てを起こしたとはいえ、この頃オディンガ側から聞こえてくる発言は、司法判断にあまり期待をかけていない様子が垣間見えるものだった。たとえばNASA側ブレーンの一人D・ンディエ(David Ndii、エコノミスト、キクユ人)は、不服申し立て後の8月22日に現地のテレビ番組に出演した際、最高裁が大統領選挙への不服申し立てについての解決を示さないことはあらかじめわかっているとし、NASAが大衆行動(mass action)を準備していると発言している。ンディエはこのとき、「選挙で問題解決しないなら新国家を分離独立するという方法がある」とすら述べていた(Nation, August 24, 2017)。ンディエの発言に限らず、この時期のNASA側は大衆行動に向けて準備するよう、野党支持者に繰り返し呼びかけていた。野党側が、司法判断が示される日をむしろ政権への抗議行動の開始日と位置づけていたようにもみえるのである。

一方でケニヤッタ大統領も、8月後半に指示を出して、上下国会を8月31日に招集した。招集を指示したのも、国会開会日も、いずれも不服申し立て裁判の判決が出される期限の日(9月8日)より前というタイミングだったことが、ここでは重要である。大統領としての正統性が十分でないのに国会を招集するのは不適切だとして野党側は強く反発したものの、国会は8月31日に開会した。初回の国会では、与党ジュビリー側の議席の数的優位を背景に、上下両院のいずれにおいてもジュビリー側から議長、副議長が選出された。野党側が不服申し立て裁判に大きな期待を寄せずむしろ大衆行動を準備していたように、おそらくこの頃のケニヤッタ大統領側も、不服申し立て裁判で再選が裏書きされることを前提に動いていたのではないだろうか。

それだけに、9月1日の最高裁判断は、与野党双方にとっておどろくべきものだった。(つづく)

著者プロフィール

津田みわ(つだみわ)。ジェトロ・アジア経済研究所 地域研究センター主任研究員。法学修士。専門はケニア地域研究、政治学。主な共編著に『ケニアを知るための55章』(明石書店)、最近の共著に『現代アフリカの土地と権力』(武内進一編、ジェトロ・アジア経済研究所)など。

書籍:ケニアを知るための55章

書籍:現代アフリカの土地と権力

写真の出典

U・ケニヤッタ大統領
By Make it Kenya [Public domain], via Wikimedia Commons
R・オディンガ元首相
By World Economic Forum from Cologny, Switzerland [CC BY-SA 2.0
(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)], via Wikimedia Commons

参考文献


脚注
  1. 本稿執筆にあたっては、Daily NationEast AfricanStandardStar等の主要な現地紙および、Independent Electoral and Boundaries Commission、Kenya Law、Judiciary等の主要なサイトを参照した。紙幅の都合により、本文中での引用を除いて記事の詳細については省略する。
  2. ジュビリー党の獲得議席はそれぞれ以下の通りだった。上院47議席中24議席、下院290議席中140議席、下院女性代表47議席25議席、47カウンティ知事中25知事。詳細を表1で示したので参照されたい。
  3. オディンガらは、(1)公人がケニヤッタ候補への投票を呼びかけたこと、(2)その際の運営費が公費でまかなわれたこと、(3)往復に公用車が使用されたことなどを指摘した。ケニアの法律は、これらをいずれも禁じている(選挙法2条、選挙違反法14、15条)。