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2017年ケニア大統領選挙をめぐる混乱(1)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050146

2018年2月

はじめに
2017年9月1日、ケニアの最高裁判所(Supreme Court)が下した判断は、ケニア国民にとどまらず世界中を驚かせた。同年8月に行われた大統領選挙について、最高裁が選挙そのものを無効とし、いったんは選挙管理委員会が宣言した現職U・ケニヤッタ(Uhuru Kenyatta)大統領の再選も無効であると判断したのであった。司法判断で現職の最高為政者の再選が無効とされたのは、アフリカ大陸全体でもこれが初であるうえ、大統領選挙を無効とする判断自体がアフリカ初であるとして、ケニア国内のメディアはもとより、CNN、BBCなど国際メディアもこぞって、この件を驚きとともに報じた。

U・ケニヤッタ大統領(2013年~現在)

U・ケニヤッタ大統領(2013年~現在)

以後、ケニアでは、再選挙の実施、野党側による選挙ボイコットなど、選挙をめぐって混乱が続いた。この連載が始まる2018年1月時点では、再選挙がすでに行われ、ケニヤッタ大統領の再選を最高裁も承認しており、大統領選挙をめぐる混乱は後景に退きつつあるようにみえる。

しかし、再選挙に至った混乱の原因はその後も解決されていない。選挙への不信が野党支持者を中心に蓄積されているとみてよく、大統領の正当性は盤石とはいえない。ケニアで生じてきた大統領選挙をめぐる混乱とは、どのようなものだったのだろうか。その背景には何があったのか。平穏にも見えるその後の政治情勢だが、問題は解決したのだろうか。

第1回のこの欄では、まず2017年8月の大統領選挙投票日までの過程をふりかえってみよう1

ケニアの国政選挙――5年おき同日選――

ケニアでは、1991年の複数政党制回復(ケニア版「民主化」)から1992年、1997年、2002年、2007年、2013年と、ほぼ5年おきに国政選挙が実施されてきており、2017年は民主化後としては6回目、独立以来の通算では12回目となる国政選挙の年にあたっていた。ケニアの国政選挙は、大統領選挙、国会議員選挙、地方政府の知事選挙、地方議会選挙が同日選挙2のかたちで実施される。国会下院の総選挙にあわせ、上院、地方議会議員など様々な選挙が同日実施されるところ、また全国の学校が投票所に使われやすいところなどは、日本の同日選とよく似ている。

一方、投票が事前登録制であり、決められた期日までに投票所で有権者登録を済ませた人だけが投票できるところ、投票用紙にあらかじめ候補の顔写真や政党のシンボルマークなどがカラーで印刷されており、読み書きができなくても投票できる仕組みが採用されているところなどは日本と大きく違う。

また、日本の同日選と最も違うところは、大統領を直接選挙で選ぶところだろう。ケニアの大統領選挙では、全国を1区として1名が選出される。1回目投票で当選するには、過半数の得票と、過半数のカウンティ3での25%以上の得票が必要である。また、アメリカの大統領選挙のように、副大統領をあらかじめ指名するランニングメート方式が採用されている。なお、大統領の任期は5年と定められており、再選までは許されるが、3期連続して務めることはできない。ケニアでは「民主化」後に就任した大統領は3人いるが、いずれもこの3選禁止の法は遵守しており、他のアフリカ諸国と違って、3選禁止制度を廃止して在籍期間を延長する動きはケニアではほとんどみられない。

2017年大統領選挙の有力候補――現職ケニヤッタ、オディンガ元首相――

さて、本欄が取り上げる2017年の国政選挙では、8月8日に投票が行われた。大統領選挙に立候補したのは合計8人。選挙戦はほぼ、現職大統領で再選を狙ったケニヤッタ大統領と、野党側の最有力候補だったR・オディンガ(Raila Odinga)元首相による一騎打ちの様相を呈していた。

ケニヤッタ大統領はケニアのなかでも相対的に豊かな旧中央州の出身、民族的にはケニアで最大の約17%の人口をもつキクユ人である。父親はケニアの初代大統領ジョモ・ケニヤッタ(故人)であり、きわめて裕福な家庭に育った人物でもある。政界へのデビューは遅く、2002年に国会で初当選を果たしたときにはすでに40歳を超えていた。このときケニヤッタは大統領選挙にも出馬したが、大差で落選している。その後は2002年に当選した第3代大統領M・キバキ(Mwai Kibaki。キクユ人)のもとで与党支持を表明し、引退間近となったキバキの支持をうけて、2013年の2回目の挑戦で初めて大統領選挙に当選した。

地図:ケニアの主要民族と州名

ケニアの主要民族と州名

一方オディンガは、開発が相対的に遅れた地域の一つ、西ケニアの旧ニャンザ州出身であり、民族的には人口比4位、約10%の人口をもつルオ人である。オディンガは、上述のキバキ政権期に一時「首相」という臨時のポストについた(後述)。父親(故人)はジョモ・ケニヤッタ初代大統領の時代に副大統領を務めたが、政争に敗れて早々に下野した人物であり、1990年代以後は野党勢力を率いて父子ともに民主化を主導してきた背景をもつ。

2017年の大統領選挙では、ケニヤッタ大統領のランニングメートは、現職副大統領のW・ルト(William Ruto)だった。ルトは、ケニア中西部にひろがる旧リフトバレー州出身、民族的には人口比3位、約13%の人口をもつカレンジン人に属する。ケニヤッタを擁する与党側は、前回2013年選挙用に設立した選挙協力組織(登録制)を早い段階で政党(登録制)化することに成功しており、ケニヤッタ大統領、ルト副大統領ともに新党「ジュビリー党(Jubilee Party of Kenya)」の公認を得るかたちで立候補した。

写真:R・オディンガ元首相

R・オディンガ元首相

一方野党側も、2017年8月の投票直前になって主要な野党勢力のほとんどが参加する選挙協力組織の成立に成功した。その新しい選挙協力組織、NASA(National Super Alliance)は、元首相のオディンガを大統領候補に、ランニングメートには、元副大統領のK・ムシオカ(Kalonzo Musyoka)を公認し、野党側候補を事実上一本化することに成功した。ムシオカ副大統領候補は、キバキ政権で副大統領を務めた経験があるベテランで、旧中央州の東隣に位置する旧東部州出身、民族的には人口比5位、約10%の人口をもつカンバ人に属する。

毎回注目される大統領選挙の集計作業――2007/08年紛争――

ケニアの国政選挙でとくに注目されるのは、大統領選挙の全国レベルでの集計作業である。というのも、ケニアでは第3代キバキ大統領の再選が問われた2007年大統領選挙の際、当時の選挙管理委員会がつかさどる全国レベルの集計段階で大規模な不正が発生した疑いが強まり、「キバキ大統領再選」と発表されたものの、野党側の大統領候補(やはりオディンガだった)およびその支持者層は受け入れず、不正選挙だとして全国の都市部を中心に暴動が発生したのであった。

暴動では、キバキ大統領と同じキクユ人に対する殺傷事件が多発したほか、農村部でもキクユ人の移住農耕民が襲撃される事件が多発し、キクユ人の青年団が復讐と称してルオ人やカレンジン人を襲撃する事件も続いた。大統領選挙をきっかけとしたこの紛争は、全国で死者少なくとも1,100人、国内避難民が最大時で65万人というケニア史では未曾有の国内紛争に発展したのであった。

「選挙後暴力(Post Election Violence。通称PEV)」と呼び習わされるようになったこの紛争は、国際調停が功を奏したこともあって幸い数ヶ月で収束したが、民族カテゴリーが極度に政治化したその数か月の経験は、ケニア社会に深い傷跡を残した。ケニアはその後長い国民和解の過程に入ったのであり、それは紛争から10年を経た現在も変わらない。

なお、紛争調停では、「再選」とされた当時の現職のキバキ大統領はそのまま大統領に就任し、一方で「大統領と権力を分有するポスト」として「首相」ポストが暫定的に設けられ、選管に「落選」とされたオディンガがその首相ポストに就任することで手打ちとなった。このほか、キバキ側とオディンガ側から閣僚を半数ずつ出すなど、国民和解のための暫定憲法体制が敷かれ、与野党の権力分有による連立政権が発足した。先ほどオディンガを「元首相」と呼んだのはこの暫定憲法体制時のポスト配分による。調停を受け、ケニアでは、紛争の主要な背景とみられた大統領への権力一極集中を是正すべく、2010年により民主的な新憲法が制定され、2013年には独立後第11回目の国政選挙が新憲法下で初めて実施された。首相ポストは暫定憲法体制だけに限定され、新憲法では廃止されている。

開票から集計へ

このように一度は大きな紛争に発展したとはいうものの、ケニアの大統領選挙をはじめとする5年おきの国政選挙は、実はその2007/08年紛争のときですら、投票と開票の段階に限っていえば、高い選挙への関心、高い投票率、そして基本的に平和裡に行われてきたことで知られている。

2017年8月8日、投票日を迎えたケニアでは、やはり基本的に平和裡に投票と、そして即日開票が進められた。2007/08年の紛争から2回目となったこのときのケニアの大統領選挙は――紛争後1回目だった2013年の大統領選挙がやはり一定程度混乱したことを背景に――国外からとりわけ大きな関心を集めており、国外の選挙監視団は、過去最大規模となった。監視団には、アメリカのJ・ケリー(John Kerry)前国務長官、J・マハマ前ガーナ大統領(John Mahama。英連邦監視団代表)、T・ムベキ前南ア大統領(Thabo Mbeki。AU監視団代表)などアフリカ内外の重鎮が集結した。外国人選挙オブザーバーは5,000人、ケニア人選挙オブザーバー7,000人、国際マスメディアの記者も数百人がケニア入りしており、発表時に申請中だったものも合わせればその数はもっと大きくなった(『ネーション』2017年8月4日)。

夕方5時の投票終了と同時に開票が始まり、大統領選挙の集計結果の随時公表が進んだ。投票終了の30分後には早くも全国に40,883カ所設けられた投票所から、集計結果が電子的選挙システムを通じ、首都ナイロビにある「独立選挙管理・選挙区画定委員会4」(Independent Electoral and Boundaries Committee: IEBC。2011年に新設。以下、選管)の本部に届き始めた。(つづく)

著者プロフィール

津田みわ(つだみわ)。ジェトロ・アジア経済研究所 地域研究センター主任研究員。法学修士。専門はケニア地域研究、政治学。主な共編著に『ケニアを知るための55章』(明石書店)、最近の共著に『現代アフリカの土地と権力』(武内進一編、ジェトロ・アジア経済研究所)など。

書籍:ケニアを知るための55章

書籍:現代アフリカの土地と権力

写真・地図の出典

U・ケニヤッタ大統領(写真)
By Make it Kenya [Public domain], via Wikimedia Commons
ケニアの主要民族と州名(地図)
Republic of Kenya 2010. 2009 Kenya Population and Housing Census VolumeII, (Nairobi: Kenya National Bureau of Statistic)より筆者作成。
R・オディンガ元首相(写真)
By World Economic Forum from Cologny, Switzerland
[CC BY-SA 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)], via Wikimedia Commons

脚注
  1. 本稿執筆にあたっては、主要現地紙のDaily Nation、East African、Standard、Starおよび、独立選挙管理・選挙区画定委員会サイト(https://www.iebc.or.ke)、ケニア司法ポータルサイト(http://www.kenyalaw.org)、ケニア司法省(http://www.judiciary.go.ke)を参照した。紙幅の都合により、本文中での引用を除いて記事の詳細については省略する。
  2. 現在、下院議員選挙では全国を290に分けた選挙区で、それぞれ最大票を得た1名が選出される。上院議員選挙では全国を47に分けたカウンティという行政単位でやはり最大票を得た1名ずつが選出される。このほか下院には女性代表枠があり、各カウンティで最大票を得た1名ずつが選出される。同日選ではこれに加えて、カウンティ知事選挙(各カウンティで1名ずつ)、地方議会議員選挙(カウンティをさらに細分した行政単位で1名ずつ)が行われる。投票所では有権者が色分けされた投票用紙6種類をうけとり、手書きでチェックしたあと、やはり色分けされた透明な投票箱に入れる方式で投票する。上院、下院女性代表枠、カウンティはすべて2010年に採用された新憲法で新設されたものであり、比較的新しい制度である。
  3. ケニアは、2010年制定の新憲法で、それまで長くつづいた州県制を廃止し、カウンティからなる地方分権制に移行した。州県制時代の州名を地図で示したので参照されたい。
  4. 2007/08年の国内紛争の反省にたって刷新された選挙管理委員会であり、紛争のきっかけとなった2007年大統領選挙を司った選挙管理委員会とは別組織である。2010年に制定された新憲法に明記され、2011年に発足したが、2013年大統領選挙の集計過程で再び混乱がおきた。2017年国政選挙にあたってメンバーの刷新を求める野党側の強い抗議を受け、2016年に委員長以下全コミッショナーの入れ替えが行われ、現在に至る。