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世界を見る眼

インド:岐路に立つ司法積極主義(1)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049534

佐藤 創

2016年3月

昨秋、最高裁判所(最高裁)は、2015年4月に施行されたばかりの、上位裁判所(最高裁、高等裁判所(高裁))の裁判官を任命する方法を改革する法律(全国裁判官任命委員会法)を違憲無効としました。現地では、この事件について、モディ政権側と最高裁との対立が露わになり、すわ司法危機の再来か、と報道しているものもありました1。その背景には、モディ政権が成立してよりこれまで、最高裁はいくつか政権側に不利となるような判断を下しており、当然ながら、司法への政権側の不満は蓄積しているようにみえるということがあります。

周知のとおりインドも三権分立制を採用しており、上位裁判所はチェック・アンド・バランスの重要な一翼として、また人権擁護の最後の砦としての役割を憲法により与えられています。その上、インドの上位裁判所は世界にも稀にみる司法積極主義を展開しており、比較法的にみても強力な権限をもっていると考えられます。その意味で、上位裁判所と政権との関係は、今後のインドの政治、社会、経済を考える上で、重要な要因の一つとなりうると考えられます。

筆者は、本件違憲判決については第一義にはインドにおける司法積極主義の長い歴史の中に位置づけて理解すべきと考えています。ただ同時に、2016年5月で成立より二年が経過するモディ政権との関係においてもみる必要があると考えています。実際、新政権が成立してより生じているインドの社会変化が様々な側面でより明確に見て取れるようになっているように思います。そこで、その変化を含めて、インド司法積極主義の来し方行く末を、モディ政権と最高裁の緊張関係が高まっているのではないか、という問題を検討することを通じて、これから何回かに分けて、報告してみたいと思います。

上記の全国裁判官任命委員会法は、裁判官の任命を現在の実質的に司法府内で決める方式から政権側も関与する方式へと改革するものです。具体的な改革内容についてはまた後述しますが、最高裁は、昨秋2015年10月16日に、同法を違憲無効とし、また同委員会の設置に関連した改正を行った憲法第99次改正をも無効としたのです。そのおもな根拠は、司法の独立性は「憲法の基本構造」であり、同憲法改正及び同法はこれを変える恐れがあり無効であるというものです。

モディ政権側はこの判決は国民の意思を無視したものであり、議会への挑戦だと最高裁判決に対する批判を展開して、第二の立法を検討する構えを見せています。実は同法は、他の問題では激しく対立する与野党が、上院下院ともに全会一致で可決していました。しかし、最高裁を頂点とする法曹界の反発は激しく、2015年4月に同法が施行された後に同法に基づく全国裁判官任命委員会が設置される予定でしたが、同法の合憲性にかかわる訴訟がすぐに提起され、設置される委員会の委員となるべきことが同法に定められている最高裁長官は、最高裁が本件訴訟に判断を下すまでは委員に就任しないと政権側に伝えていました。

日本の制度に馴染んだ目からみると、まずは、2015年4月に施行された法律の合憲性について10月には最高裁が判決を下すというスピードに驚くかもしれません。インドには特別な憲法裁判所は存在せず、その違憲審査制は、基本的には、日本と同じように、司法裁判所が個人の権利救済に必要な範囲で判断を行う付随的審査制に分類されるものです。この仕組みでは、一般には、問題の法律がなんらかの形で具体的に適用され、そのために被害や影響を被った者が下級裁判所に訴えてはじめて訴訟となり、その中の論点として適用法令の合憲性が争われ、何らかの判決が下され、その後に、高裁、最高裁と上訴されていくというルートを辿るはずです。そうすると、最高裁の判断が示されるまでにははやくても数年かかることになるはずです。

また、なぜインド最高裁はこのような強い姿勢を、2014年の連邦下院総選挙で大勝して成立したモディ政権に対して示すことができるのか、ということに驚くかもしれません。あるいは逆に、裁判官の任命人事に介入しようとするモディ政権の強い姿勢、さらになぜ政権が成立して一年とたたないうちに、このような法律を成立させ施行することができたのか、ということに疑問をもつかもしれません。そもそも、なぜ世界最大の民主制を誇るインドで司法の独立性の問題が今この時点で争点化しているのかということも重要です。

こうした疑問に答えるには、いくつかの側面から検討を行う必要があります。今回は、そのうちのポイントの一つである、憲法32条により最高裁判所に与えられている令状管轄権(writ jurisdiction)と呼ばれる権限と、おもにこの令状管轄権を舞台として1980年頃から展開した公益訴訟(public interest litigation)という訴訟類型についてまず確認したいと思います。これらは、なぜ憲法判断がかくも迅速に下されたのかという点と、なぜ最高裁がかくも強い権限を持って政権側と対峙できるのか、といういわば形式面にかかわります。

この司法積極主義のいわば形式面を理解する上で重要なポイントは、おもに三点あると考えられます。第一は、憲法32条が、憲法に規定された基本権の侵害がある場合には、最高裁に直接に提訴する権利を国民に保障していることです。第二は、この32条を梃子に、公益訴訟という訴訟類型が展開するなかで、判例法によりこの訴訟を提起できる者の資格(原告適格)や対象となる政府の活動についての要件が極端に緩和されていることです。つまり、原告となることができる者としては公益のために行為していると最高裁が認めればよく、また対象となる政府の活動も基本権に重大な影響が及ぶと最高裁が認めればよいとされるほど、いずれも緩やかな要件となっています。

そのため公益訴訟とみなされる場合には、問題となっている法律の具体的な適用事例がなくても訴訟となるケースが存在しうることになり、ある種のハイウェイ、専門的にはいわゆる抽象的審査制的な性格を持つルート、として用いられる可能性を開いていると考えられます。今回の訴訟も、最高裁で活動する法廷弁護士グループが原告となり、同法は違憲であり無効であるとの判決を求めて最高裁に直接に公益訴訟として提起されたものです。

この憲法32条(高裁の場合には憲法226条)に基づく訴訟の場合には、民事訴訟法典の適用がありません。つまり、訴訟手続や判決の内容について、裁判所に大きな裁量権があるのです。これが第三のポイントです。そのため、公益訴訟において、最高裁は、訴訟手続も救済手段も創造的に改革し、立法府や行政府が果たすべき役割ではないかと思われるようなことまで、実施してきました。とくに環境分野において多いのですが、たとえば、デリーでは、オートリクシャーや公共のバスなどはすべて今では圧縮天然ガス・エンジンのものとなっています。これは、高名な環境弁護士が1980年代半ばに提起した訴えを最高裁が公益訴訟として取り上げ、最高裁は調査委員会を設置して、様々な報告書を提出させ、被告として関係行政機関を訴訟参加させ、度々中間的な命令を出して、立法スケジュールを提案するなどした結果、2003年に実現したものです。

つまり、最高裁に憲法が与えた権限はそもそも強力であり、しかも、最高裁は、公益訴訟を通じて解釈により自らの権限を強めてきたという側面があると考えられます。当然ながら、最高裁は三権分立の原則を超えて第三の立法府のようにふるまってはいないか、という批判があり、また、実際に、最高裁の権限を制限しようとする動きが、インドの憲政史上、何度か争点となってきています。今回問題となった裁判官の任命の仕組みも1990年代に、公益訴訟において司法の独立性が争われた際に確立されていたもので、これを改革しようとしたものが、昨秋違憲とされた全国裁判官任命委員会法なのです。

続く。

脚 注

  1. 以下、本稿では、事実関係については、別に断りのない限り、現地の有力英文日刊紙(The Hindu, The Indian Express, The Economic times)に依拠しています。