21世紀の経済発展における政府の役割とは?

2011年2月16日(水曜)
グランドプリンスホテル赤坂  五色2階 五色の間
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主催:ジェトロ・アジア経済研究所、朝日新聞社、世界銀行

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基調講演1 「21世紀における国家と開発主義」

ベン・ファイン氏  ロンドン大学東洋アフリカ研究学院経済学部教授

1.イントロダクション

この講演は、金融化(financialisation)と新自由主義(neo-liberalism)、そして両者の関係について考えることから始めます(2節)、つぎに、それらが開発に対して及ぼしてきた影響を、開発国家と産業政策という観点からそれぞれ検討します(3節、4節)。さらに、広告の役割と広告がどう理解されているかを検討しつつ、そのアナロジーにより援助と開発について考察し(5節)、最後に、日本の援助政策に対する含意について触れたいと思います。

2.金融化と新自由主義 (Financialisation and Neo-Liberalism)

まず2つのパラドックスを紹介することから始めたいと思います。第1のパラドックスは、現在の経済危機の性格にかかわっています。根底的な物的条件からみれば、世界経済の可能性は、戦後ブームに比べれば成長が鈍っていた1970年代以降の30年間についても、実は強かったと思われます。たとえば、科学技術の広範な展開による生産性の増加、そして中国の市場経済化や女性の労働市場参入による労働力の大幅な増加です。それにもかかわらず、なぜ経済成長は鈍化し危機が起こったのでしょうか。

第2のパラドックスは、現在の世界危機への対応にかかわっています。今回の危機により、国家介入を否定的に捉え、市場を最重視する新自由主義は、痛打を浴びました。しかし、国家の返り咲きは限定的で、ケインジアンの黄金時代とは比べるべくもありません(とくに欧州では、厳しい財政支出カット策が展開されています)。
これらのパラドックスをどう理解すればよいでしょうか? 第1のパラドックスについては、私は金融化に注目します。この比較的新しい概念の定義にまだ定説はありませんが、重要なことは、過去30年における金融の規模、多様化そして影響の拡大であり、そのことは、根底では強い条件のあった実体経済の犠牲により起こってきたと考えられるのです。

金融化はまた、第2のパラドックスについても鍵となります。過去30年間に、国内的にも国際的にも進行した金融部門の強大化と制度化は、政策を創案し実施する国家の能力を変容させるほどの影響がありました。たとえば、公的部門があった領域ではそれは縮減され、他の領域ではそもそも公的部門に依拠する案は最初から排除されたのです。
この点、金融化と新自由主義の関係を理解することは重要です。市場自由化を求める新自由主義は金融に関係した市場にまず適用され、また偶然のショックを除けば市場は常に完全に働くという考えに基づく新金融経済学が、学問の世界で影響力を強めました。

私自身は、金融化は、金融市場を越えて広範な影響をもち、新自由主義を規定し、基礎づけているものだと考えます。この見方を理解するために、さらに2つのポイントが重要です。第1に、新自由主義を構成するイデオロギーと学説と政策との間の関係は、時、所、主題により変化します。たとえば、国家介入は最小限にすべきというイデオロギー・学説にもかかわらず、新自由主義はつねに国家介入に深く関わっています。ただし、それは民間資本(とくに金融)を促進するための介入です。第2に、新自由主義には1990年代初頭を境にして2つの段階があり、その第一段階はショック療法と呼ぶべきもので、ラテンアメリカ諸国や旧ソビエト圏において、民間資本の促進がその結果を顧みずに進められました。第二段階は、第一段階のもたらした負の結果への対応である国家の役割の復活ですが、この第二段階でも金融化のプロセスを支え続けるための国家介入は顕著でした。

3.開発国家パラダイム(Developmental State Paradigm: DSP)

つまり、現在、国家の役割を積極的な意味で再発見すること自体、困難な状況に私たちは置かれています。それゆえ、歴史を広く見渡すことが適切です。最近の例で重要なのは、開発国家として知られる経験で、この経験から国家の役割を肯定的に捉える研究を私は開発国家パラダイム(DSP)と呼んでいます。DSPは、おもに東アジアNICs(新興工業諸国)のキャッチアップ型産業発展の経験に依拠しており、実はこのことがDSPの限界ともなっています。

第1に、DSPは、後発国、キャッチアップ、産業化に関心を絞っており、開発プロセスの他の段階と他の様相を研究の対象外としがちです。第2に、ある一国に焦点をあてるため、国際的な要因は多数の要因のひとつ程度になり、またどんな国も条件さえ整えば開発国家になりうると前提しています。第3に、DSPは経済学派と政治学派とに区分されますが、それらはお互いに交わるところがありません。経済学派は市場と制度の不完全性を矯正する政策内容に焦点をあて、政治学派は政策の内容がなんであれ国家がそれを採用し実施するさまざまな条件を特定しようとします。第4に、DSPは、経済学の主流派と同じく、国家と市場の二分論を分析の出発点としており、国家と市場が結果・プロセスであること、それらの根底にあって蠢動するさまざまな利害の作用を捉えられません。第5に、その帰納的な方法にはサンプルの偏りがあり、失敗した開発例に十分な注意を払っていません。

いずれにしても、DSPは、1980年代から、開発における国家の役割を強調し、新自由主義の政策面を代表するワシントン・コンセンサスを批判することに重要な役割を果たしました。しかし、1990年代後半からDSPは、多くの要因によりかつての勢いを失っています。その第1は、アジア経済危機であり、これに対応した東アジアの奇跡はそもそも存在しなかったという議論です。第2は、後発産業化について、キャッチアップと最前線での競争とを区別してこなかったことです。第3に、開発国家の成功はそれ自体の基礎を崩すという議論が起こり、また、産業化における国家の肯定的な役割を重視するDSPが避けていた、民主化や社会福祉などの問題が、経済発展の結果、前面に出てきたことです。


4.産業政策

以上の検討から、国家の役割を再考するため、DSPの議論をどう深めればよいでしょうか? 開発の他の様相や他の段階を組み入れ、国家対市場の二元論を分析の出発点とすることを退け、さまざまな利害が市場と政府を通じてどのように形成・実現されるのかを検討することが重要だと考えます。もうひとつ組み入れるべき要因は、開発の条件を規定する世界経済の発展であり、上述した金融化という現象です。金融化の経験は、開発途上国では、とくに援助国・機関を通じて、産業政策やインフラの提供に大きな影響がありました。

ワシントン・コンセンサスの下では、産業政策は、市場最重視のイデオロギーに抑えこまれて、貿易など諸々の自由化と民営化とほぼ同義になっていました。このような見方は、いまだに根強いものですが、もちろん不適切で、それは自由化と民営化に限られません。

それでは、産業政策をどう考えるべきでしょうか? 以上の議論から、第1に、経済学のモデルを選択して演繹的に産業政策を導くのではなく、経験的に帰納して考察することが広く許容されるべきです。第2に、産業の成功の達成は重要ですが、それは経済的・社会的な開発に関連した、より広い目的に対置されねばなりません。第3に、それゆえ、産業政策は、特定の部門を、狭義のパフォーマンスの観点からターゲットにする垂直的なアプローチだけでなく、水平的なアプローチによって補われなければなりません。

つまり、産業政策は、ある一部門のレベルでは、適切な介入をその部門の川上から川下に至る文脈から特定するため、垂直的な観点から考える必要があり、同時に、マクロ経済の安定性から科学技術、環境、インフラ、雇用、ベーシックニーズの提供にいたるまで部門横断的に広がる水平的な諸要因を組み込む必要があるのです。社会政策も同様です。

5.広告から援助へ(From Ad to Aid)?

以上の駆け足の検討を前提として、援助の役割と開発について考えてみましょう。ごく大まかに、援助に関する議論は、次の両極のどちらかに落ち着きます。一方では、援助は善で、開発を促進すると考えられ、他方では、援助は悪で、むしろ逆効果ですらあると考えられています。援助の文献を詳細に検討する時間は、今日はないので、広告に関する研究成果を紹介し、それを導きの糸として援助を考察してみましょう。この分野には、援助と開発よりもずっと長い研究の蓄積があり、より成熟した議論があるからです。まず、私が精力的に研究してきた広告と消費について いくつかのポイントを示します。

第1に、歴史的に、広告を善悪の観点から捉える慣習があり、それは今も存在します。第2に、しかし、ポスト・モダニズムにより相当に影響されたため、広告の分析はそのような善悪二分論を超えた段階に入っています。第3に、ポスト・モダニズムは、今では広告を含む消費一般に対する物質文化研究(material culture approach)に行き着いています。そこでは、なにが、誰によって、誰に向かって、なんのために広告されているのかを検討し、それを商品の生産から消費にいたる物質的・文化的プロセスとの関連で分析し、さらに、関係者によりどのような意味がその内容を変化させつつ反復して付与されるのかを研究します。第4に、以上のことは、援助と開発にも概ねそのままあてはまります。つまり、援助国、被援助国、意図および結果を横断して働く、複雑な相互作用が問題なのです。

私自身の、広告と消費に関する研究は、Haug(1986)が提唱した美的幻想(エステティク・イルージョン)という考え方を出発点にしています。その着想は、商品は時とともに価値を失っていくものの、それに対する需要は広告を通じて魅惑的な内容を与えられて維持されるというもので、美的幻想とは、商品そのものと、それがどのように認識されるかというギャップを橋渡しするものです。援助においても、美的幻想がしばしば作り出されます。援助とそれがどう認識されるかを橋渡しする言葉は、Cornwall と Eadeの『「開発の言説を脱構築する——流行語と曖昧語(Buzzwords and Fuzzwords)』という本によく描かれており、エンパワメントからガバナンスまで多くの開発・援助の専門用語が含まれます。

そして、こうした言葉の氾濫は、援助自体の性質とその影響の驚くべき多様さに対応しています。たとえば、アフリカの場合、援助の問題はその額だけではなく、「援助複合体(aid complex)」の出現とその急速な成長の問題でもあるのです。たとえば、アフリカ諸国の少なからぬ行政機関が、援助の激増により著しい業務過剰に陥っており、その結果、援助を管理すること自体が開発行為に代替してしまい、開発政策を策定する国家能力が損なわれる、という現象が起こっています。こうした援助拡大の結果は多様で、援助プロジェクトの評価の仕方にまで、恣意的で混乱した状況を招いています。

最後に、広告の研究は、消費者研究やマーケティングの病理学(pathology)という形をとりましたが、援助については開発経済学の病理学がこれにあたります。古い開発経済学は、脱植民地化と冷戦の時代に生まれ、帰納的な手法に立ち、演繹的なミクロ・マクロ経済学に懐疑的でした。その政策含意は、私が「プレ・ワシントン・コンセンサス」と呼ぶものであり、社会的・経済的なインフラの提供、産業化の促進における国家の役割を重視するものでした。対照的に、新しい開発経済学はワシントン・コンセンサスと深い関係がありますが、開発経済学の位置づけを、完全市場を基準とする演繹的な新古典派経済学の応用分野にかえたのです。さらに、ポスト・ワシントン・コンセンサスの考え方の基礎にある、より新しい(newer)開発経済学は、完全市場ではなく不完全市場を出発点にかえただけで、開発経済学を一般理論の応用分野と位置付ける点では、変化はありません。

開発経済学の以上の3段階には、それぞれ対応するイデオロギーや実際の政策があり、それは国家重視から国家軽視へと移行し、そして今は、その両極の間です。政策としての援助は、当初は物的インフラに向けられており、後に世銀は、当初こそ躊躇したものの、ソフトローンの領域に踏み込んでいったのです。今日、もちろん状況は異なり、援助の方法と目的の範囲にほとんど限定はありません。さらに、コンセンサスの移行は、開発の思想や実践における世銀の影響が大きくなっていった過程でもあります。ただし、ポスト・ワシントン・コンセンサスへの移行は、ワシントン・コンセンサスの政策からの訣別を意味してはいません。いずれも介入主義的であり、そして援助の配分に関する彼らの与える処方箋と、それと関係するコンディショナリティ(政策条件)は、むしろ強化されてきています。
現在の危機における国際機関の対応のひとつは、インフラの保持に焦点をあてることです。ただし、私は、こうした動きにつき、疑いをもってみています。というのは、この変化が国際機関による政策介入の余地をさらに広げることになるのではないかという懸念に加えて、民営化をめぐって、同じようなことがすでに起こっていたからです。

1990年代初頭まで、民営化に対する世銀の立場は、イデオロギーと「まずは、やるべし(just do it)」という政策が一致していたとみなすことができましたが、ポスト・ワシントン・コンセンサスへ移行後しばらくして、再考(rethink)が起こります。しかし、それは単に、新自由主義のショック療法段階で、可能な民営化をすべて実行してしまっており、またそれによって生じた結果に問題があるとわかったからで、再考と呼ぶべきものではありませんでした。結局のところ、電気や水の供給など、経済的・社会的インフラの供与に民間部門が参加することを可能にする源として、国家の役割を位置づけ直しただけでした。

さらに、援助と開発の大きな構図をみると、今回の危機以前でさえも先進国の強い関与はありませんでした。たとえば、危機の際に金融部門の救済に使われた資金と比べれば、途上国の都市人口の大多数に上下水道を提供するために必要となるコストなど、その5%に過ぎないのに、そうした資金が提供されたことはありません。また、たとえば、2009年にはアフリカのインフラ投資は危機以前の水準を維持したと報告されていますが、それは民間主体の破綻に対応するドナー国による融資の増加に依拠していただけでした。さらに、不足している資金をどう調達するかも、効率性を高め、民間部門の参加を促すという危機以前からの政策を引き続き採用・強化するというアイデアがあるだけです。しかし、これは明らかにすでに失敗したものなのです。アフリカの保健衛生問題についても同様です。

6.おわりに

世界金融危機により、開発や援助の役割についての考え方が、なんらかの形で岐路をむかえたと考えることは、楽観的すぎるかもしれませんが、勇気づけられることです。しかし、国家と援助の役割は民間部門を促進することにあるとする考え方は、依然として広く残っており、日本を含めてどの国の援助政策もこの影響から自由ではありません。

もちろん、全体的な構図は混沌としています。アジアの台頭しつつある援助ドナーに関する研究をみると、援助モデルというものが依然として存在しないことがわかります。援助の決定要因と結果は、時、場所、動機、結果などにおいてあまりに多様なのです。

同じことは日本の援助にもあてはまります。さらに、資金に比べてターゲットがあまりに多いというジレンマの存在が、日本の援助に関する最近の研究から読みとれます。

この点、日本がどういった方向を採るべきかを私が述べることはおこがましいので、援助政策について私なら指針とするであろう原則を列挙します。第1、目的と影響については控えめに考えること、第2、国家の能力構築に貢献するようにし、それを崩したり利用したりしないこと、第3、金融を政策に従属させ、その逆にはさせないこと、第4、現実には誰の利益に役立つことになるのか、それが意図されたものか、それらのことを加味したうえで意義があるのかを評価すること、第5、援助を、経済的・社会的変化の構造的なプロセスとしての開発の理解のなかで位置づけること、最後に、援助が贈与であるべきならば、見返りを期待せずに与えることを前提とすること。ご清聴感謝します。

ベン・ファイン氏 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院経済学部教授

ベン・ファイン氏
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院経済学部教授

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